
お問い合わせくださった方々のご了承を頂いた上で、わたし、更紗からのお返事を(ほぼ)原文で転載しているもの、それらに加筆しているものもあります。
言葉が早いこと、これは、大多数のギフテッドに共通した、非常に大きな特徴です。
ギフテッドの子の場合、大抵は非常に早いか、もしくは、平均的だったり、若干遅いと思われるときであっても、発語し始めが、完璧、且つ、複雑な文章になっているかのどちらかです。
ギフテッドにもレベルがあるんですけど、その中でもギフテッドの特徴が特に顕著になる、IQ145以上のレベル(HG、EG、PG)では、だいたい生後何ヶ月くらいで、最初の意味ある言葉を口にしたか、といった資料まで出ているくらいです。
つまり、それくらい、言語能力とギフテッドには強い関係性がある、ということになります。
ギフテッドの子を便宜上、頭がいい子、と呼んだりもしますが、心理学上では、あくまで、「頭がいい子」と「ギフテッド」は別物です。
頭がいい子や優等生は、オール5やオール10の成績を取ってきたりしますし、おそらく、先生の言うこともよく聞けて、先生に目を掛けてもらえるタイプでしょう。
いいか悪いかは別として、先生のお気に入りになるタイプとも言えますね。
でも、大抵のギフテッドは違います。
まあ、中には、そういうギフテッドの子もいるかもしれませんけど、ギフテッドって、もっと別枠です。
型の中に入れられないんですよ。
先生が言っていることに対しても、平気で疑問視も、反論もしますし、授業が彼らの知的好奇心に触れてくれないものだと、つまらなくなって、クラスに参加しなくなったりもします。
ぼーっと窓の外を向いていたり、ノートに絵を描いていたり。(←ADHDと間違われる)
退屈だから、学校に行きたくないと主張するようにもなります。
正直、優等生には程遠い存在ですし、ほとんどの場合、先生に疎ましく思われるのがオチ、それがギフテッドでしょう。
そのくせ、興味があるものに対しては、とことん突き詰めていきます。
誰に命令されなくとも、自分が強い好奇心を持って、それをひたすら探求していきます。いわゆる、究極のオタク気質だと思って頂ければ。(笑)
おそらく、頭がいい子というのは、空気も読めますし、言われたことにしっかりと従い、努力家で、親としては一番誇らしいタイプであり、「理想の子供」像とも呼べます。
でも、ギフテッドは、全くの別物、別の生き物と言えます。高い知能(高IQ)は、ギフテッドの一面でしかありません。
「頭がいい子」が必ずしも自己主張が強いのではなく、「ギフテッド」が「ギフテッド」であるがゆえ、また「ギフテッド」ならではの脳構造ゆえに、その一面として表れてくるのが、自己主張の強さなのだとご理解ください。
その自己主張や拘りの強さこそが、つまりは、ギフテッドの特徴の一つなんだ、と。
ギフテッドの子供たちは、早い内から自分が何を欲し、何をしたいのかがハッキリ見えている、とも言えるのかもしれません。
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いやいや、全く無いですよ。
ただ単に、両親の身体的特徴が普通に受け継がれている、というだけの話です。
そもそも、ギフテッドの定義が正しく捉えられているのか、というところから始める必要があると思うのですけどね、ギフテッドとは、障害ではありません。
しばしば、障害の原因だとされる先天的な染色体異常は、ギフテッドには存在しません。
遺伝によって、脳に特殊な形質を持っている、というだけの話です。
ギフテッドの中には、それとは別に、何らかの発達障害(ADD/ADHD/アスぺルガー)や学習障害(ディスレクシア等)を併せ持っている人間もいて、そうしたケースを、英語では、Twice Exceptional(二重に例外の意。略して、2E)と呼んでいます。
この2Eと称される人間は、一定数は存在するものの、ギフテッド人口全体から見た場合、決してマジョリティーではありません。純粋なギフテッドの方が、圧倒的に多いのだということを前提として、お伝えしておきたいと思います。
さて、そのギフテッド、コンピューターに例えると分かり易いのですけどね、ギフテッドの脳とは、そもそも、その回路からして異なっているわけです。
しかも、常人のものに比べ、ハードディスク容量が遥かに大きく、早い速度のプロセッサーを持ち、メモリーの搭載量も半端ではない、と。
要は、元々のスペックが非常に優れているんです。加えて、そこに走らせているオペレーティングシステムも独自なものだと言えますね。
これらをどう活かしていくか、どう使い込んでいくか、どんなソフトをインストールするかという辺りについては、全く別のお話になります。
でも、どうでしょう?
店頭にずらりと並ぶノート型パソコンを外から見るだけで、どのパソコンがそれだけのハイスペック製品なのかって、すぐに目星をつけられますか? 実際に、見分けがつくものでしょうか?
答えは、否でしょう。
そりゃ、ディスプレイサイズが大きければ、「多分、性能はいいんだろうな」くらいの推測は立てられるかもしれません。が、実際のところは分かりません。
最近では、もっと薄型だったり、コンパクトでスタイリッシュなものの方が最新モデル、しかも、性能もより優れているという傾向にあるのかもしれませんしね。
結局のところ、発売年、モデル名、価格を抑えた上で、更にスペックの詳細を確認しないことには、判断できないものなんですよ。
ギフテッドも、それと全く同じです。
心理学上、ギフテッドならではの特徴と呼ぶべきものは、確かに存在します。現実にギフテッドを抱える家庭では、ほとんどの場合、その特徴はしっかりと認識されています。
でもね、それらの特徴って、本人の外見とは全く関係のないものなんですよ。
もしも、専門家に相談する前に、ギフテッドかどうかの可能性をある程度、見極めたいということならば、彼らの容貌ではなく、形としては見えないところ、つまり、彼らの奥深く、豊かな内面世界を反映している、その思考や言動に注視することをお勧めいたします。
親御さんならば、お子さんの赤ちゃんの頃からの成長の軌跡ともいうべきものを今一度、思い出してみるといいのではないかな。
また、ご自身の場合ならば、思い起こせる限りの過去を辿ってみるのもいいですね。
自分の子供時代には何を好んだのか、学校ではどんな風に過ごしたのか、何を思って、どう行動したのか等。その全てがヒントになってくれますよ。
「いや、それはそうかもしれないけど、でも、顔立ちにだって、何かしらの共通の特徴はあるものなんじゃないですか?」と尚も食い下がる方は、多分、ギフテッドという存在を特別視し過ぎているんじゃないかな。
美化しすぎているというか。
それとも、ギフテッドに対して、高い理想を抱いてくださっているか.....。
わたし自身、ギフテッドに関しては、数多くの専門文献に目を通してきているんですけどね、ギフテッドの容姿に言及した記述には、未だ、お目にかかったことはないですね。
正直なところを申し上げるならば、つまり、日本ではそれほどまでにギフテッドが誤解されている、ということなんじゃないでしょうか?
もしくは、そもそも、ギフテッドというものの存在が認知されていない、ということの証とも言えるのかな。
うーん、もしもですよ? もしも、わたしが強いて、娘のことでギフテッドと結びつけて語れることと言ったら:
- 赤ちゃんのときから、時々、大人びた眼差しを見せていた。
- 幼少の頃から、意志の強そうな瞳をしていた。
- しばしば、いたずらっぽい目を親に向ける。
- 表情が人一倍、豊か。
くらいですかね?
お気づきになられるかと思いますが、これらは、あくまで、娘の内面が表に現れてきたもので、いずれも目鼻立ち云々とは関係の無いものばかりです。
ご期待に副えず、申し訳ないのですが、ギフテッドと顔立ちには何ら相関関係はない、というのが、わたしのお返事になろうかと思います。

この読者さんは、上のお子さんがギフテッドなのではないかと思われ、ギフテッドについてを詳しく調べていらっしゃる内に、わたしの「ギフテッド チャイルド ジャーナル」を見つけられ、お問い合わせをくださいました。
メールのやり取りをさせて頂く中で、上のお子さんだけでなく、下のお子さん、そして、ご本人、ご主人さまに至るまでのご家族全員が、ギフテッドとしての特徴をお持ちでいらっしゃることが判明したんです。
ギフテッドであるかどうかは、基本、遺伝によるものですから、ギフテッドを抱える家庭には、よくありがちなシナリオと言えますね。
そこで頂いたのが下記のご質問です。
そのお返事については、オリジナルを編集・加筆したものをこの場にてお届けいたします!
クエスチョン
「ギフテッドって、標準の人間とは、思考も、感覚も異なる生き物なんですよ。ギフテッドならではの特徴、ニーズ、生き方があるんです」と更紗さんもお書きになりました。
私自身が仮にギフテッドであったとしたなら、同類であるはずなら、そこをもっと早くに理解してあげられなかったのは、なぜなんだろうと不可解なのです。
似た者同士なら共感できる部分がもっとあっても良かったのではないだろうかと。
どうして、どうして、私たちは自分の子供を理解するのがこんなに難しいのでしょうか?
彼らの感情を、どうして自分たちのそれと同じように感じることができないのでしょうか?
ズバリ、自分たちが子供の頃、また大人になっても、「ギフテッド」の概念はそこには存在しなかった、「ギフテッド」というラベリングがどこにも存在していなかったために、今回、目が開いて初めて知った「ギフテッド」の概念を、今の今まで、自分たちと完全に切り離して考えていた、というところが大きいのではないか、と思います。
要は、ギフテッドとしてのフィルターがそこに無かった、ということです。
そして、遡ること、幼稚園児の頃から、自分たちをその「標準」の型にはめ込み、実際には窮屈に感じながらも、その型の中で最大限の努力をし、自分は「ほぼ標準」だと考えるくらいには自分自身を欺き、それを「ほぼ完全」に信じるまでに至っていた、ということでしょうね。
言わば、標準社会で生きていくための「サバイバルスキル」です。これは、後天的に、訓練で身に付けたものですね。
「学校って、こんなもの」、「人生って、こんなもの」、学年や年齢を重ねる度に、そう思い込みながら、周りに溶け込めるよう、細心の注意を払い、自分を律して生きてきた、と。
人によって、その度合いは違うかもしれませんけど、つまり、その状態に慣れてしまっていた、ということなんじゃないでしょうか?
一旦、身に付けたサバイバルスキルは、長年に渡って、十分通用してくれたわけですけど、自分の遺伝子を受け継いだ子が、「あなたの本当のアイデンティティーはそれじゃない、これだよ!」と目を覚まさせてくれたんじゃないでしょうか。(笑)
それ以外にも、ギフテッドレベルの違い、性格の違い、OEの種類、学習スタイルの違いというものも、当然、関係してきます。
[ギフテッドレベルの違い]
ギフテッドのレベルは、専門家によっても分け方が若干異なってきますし、知能指数も、使用テストによって、スコアの上限が変わってきたりもします。
ちなみに、以下は、アメリカでも広く受け入れられている「WISC-IV、拡張規範でのIQスコア」を元にしています。
《ギフテッドのレベルの一例》
-Moderately Gifted(MG):IQ130~144
-Highly Gifted(HG):IQ145~159
-Exceptionally Gifted(EG):IQ160~174
-Profoundly Gifted(PG):IQ175以上
ギフテッドの専門家の研究結果によりますと、親子間での知能は、基本的に同等レベルであり、親子間のIQの違いは、数字にして、大抵、10ポイント以内であるという臨床結果が出ています。
何と、祖父母と孫のIQの違いも、10ポイント以内であるケースがしばしば見受けられるようですよ。
この結果からも導き出されるように、ギフテッドとは先天的なもので、ギフテッドとしての特徴は脈々と受け継がれている、ということなんですね。
[性格タイプの違い]
性格の違いについては、ギフテッド世界でも、度々、参考にされている性格診断テストがあります。
アメリカの有名企業なんかでも、社員の適材適所を図るために利用しているようですよ。
オンラインで出来て、しかも、無料ですので、ぜひ、ご自分たちが性格がどのタイプになっているのか、ご確認なさってみるといいですよ。
話のネタにもなってくれますし。(笑)
こちらのサイトで、診断が可能です。
実は、子供版も、これを元に作成されていて、ギフテッドの専門家が活用しているんですけどね、それは有料の上、医師や専門家を通してでないと受けさせてもらえないものですので、とりあえず、お子さんたちにについては、何となくの予想を立てるだけで十分だと思います。
親子間で、なぜ、ぶつかりやすいのか等、その概要をつかめます。
あと、ギフテッドに多い性格タイプというものもあるんですよ。
問題を起こして、専門家に連れて行かれやすいのは、この性格タイプ、というのも統計として、ギフテッド専門家の資料にも出ているくらいです。
ですので、ご自身の大方の性格タイプを掴んでおくと、あとあと参考になってくれると思います。
[OEの違い]
次に、ギフテッドには、Overexcitabilities(通称、OE)という言葉が付いて回るのですけどね、これは、内外の刺激に対して、より深く、より激しく、より繊細に反応できる、特別な能力のことなんです。
「Over」という単語が誤解を生み易くしてしまっていますので、「Superexcitabilities」とでも表現した方が、本来の意味をご理解して頂き易いかもしれません。
そう、元々は、とても良い意味なんですよ。このOEがあるからこそ、芸術が生まれ、発明が成され、新たな学説が生まれ....となるわけですからね。
ただ、子供の内はね、自分でOEをコントロールする術を学べていませんので、ある意味、刺激に振り回されてしまうと言いますか、持て余してしまうんですね。
例え、本人はそれで由とできても、社会の常識がそれを受け入れてくれないわけで、しばしば回りとの軋轢の原因となってしまうんですよ。
言うならば、アナ雪のエルサ状態?
OEには、5種類あるんですけど、人によっては、全種類を持っている場合もあれば、1つだけ、もしくは、2つか3つということもよくあります。
親子間でも、持ち合わせているOEに違いがありますから、それによっても、互いに理解し合うことが難しくなったりもするんじゃないかな、と。
-精神運動性OE:過度に行動的でエネルギッシュ。脳への刺激過多で、眠れなくなることもある。何事にも能動的で、ADHDに間違われやすい。
-知覚性OE:五感に訴えるものに激しく反応する。音楽や絵画を深く体験する一方で、匂いや音にも敏感。洋服の内タグや靴下の縫い目すらも嫌がることがある。また、質感、食感ゆえに、特定の食べ物の好き嫌いがある。
-想像性OE:想像の翼を持ち、ちょっとしたことに対しても、いわゆる、シェークスピアやホメロス劇場を展開する。傍からは、大げさで芝居がかっているようにも見える。夢想を楽しむ。夜見る夢の内容が、朝起きても記憶に鮮明に残っている。悪夢をも見やすい。
-知性OE:知識を得ることが最重要となる。自分の関心ごとについて、延々と問い続け、答えを見つけようとする。大人に、分からないこと、知りたいことを質問し続けることも。度を越した集中力を持つ。自分の中で理論的思考を展開する。
-感情性OE:ありとあらゆる激しい感情の発露がある。非常に繊細で傷つきやすく、心配性で怖がり。時に、癇癪をも引き起こす。
[学習スタイルの違い]
学習スタイルに関しては、分け方にも色々あるんですけど、ギフテッドの資料でよくお目見えするのが、以下のスタイルですね。OE同様、やはり、本人が自然と好む学習スタイルの違いによっても、親子間での違いが出てきます。
-聴覚優位(ほとんどの学校で行われている授業が、このスタイル)
-視覚優位(芸術家、発明家、建築家等のクリエイティブなタイプがこのスタイルを好む)
-触覚優位/運動感覚優位(ハンズオン、体験型)
[愛情を伝える方法の違い]
他にも、プラスαとして、ギフテッドとは直接の関係ないものの、愛情表現の方法の違いも関わってくるかもしれません。
実は、子供に愛情を伝えるのに効果的な方法をタイプ別に解説した書籍があるんですね。アメリカでは、名著と言われていまして、わたしも原書を持っていますよ。
この本、和訳も出ているんですけどね、残念なことに増版がされていないようで、現在、手に入るのはUSEDのみになってしまうかもしれません。
クリスチャンの著者によるものですので、神や信仰に関する記述も少しだけ含まれていたかもしれませんが、それはあくまでメインではなく、本質の、子供の中には愛情タンクというものがあって、それを満タンにしておく方法は、各子供によっても優先順位も違うんだよ、というところを分かり易く教えてくれています。
ざっとお話すると、5種類の方法があるというんですね。
-肯定的な言葉(言葉で、その子の良いところを伝えてあげる)
-スキンシップ
-一緒に過ごす時間
-プレゼント
-尽くす行為(その子のためにやってあげること。送り迎えやお弁当作りなど)
どれも子供にとっては重要なんですけど、その中で、各子供にとって、一番伝わり易い愛情表現というものがある、と。
それをまずは優先してあげることで、親の愛情が子供に最も効果的に伝わる、ということらしいです。
逆に言うと、その子の一番の愛情表現を使って傷つけてしまうことは、絶対に避けなければならない、ということなんですね。
もしも、そうしてしまったときには、親が思う以上の傷を、その子供の心に残すことになる、と。
定型発達のお子さんでも、もちろん、そうなんですけど、非定型発達のギフテッドの場合は元々が繊細で過敏です。
親が手を出してしまう場合、知覚性OEを持っている子の場合には、これまた、特に、受け取り方も、度を越えてしまう可能性もありますので、その辺りを踏まえ、ご夫婦で一番良いと思われる形での躾方法をお探しになられるといいかもしれません。
ギフテッドの子供相手の場合、なぜ、それをしてはいけないのか、という辺りを筋道立てて説明してあげることも効果的だと思います。
ギフテッドの子を叱るのに、頭ごなしは絶対にダメだ、というのは、専門家の一致した意見のようで、わたし自身、試行錯誤と反省の毎日ですよ。
これもね、親の側に余裕がないと、上手く行かないんですよねえ。
だからこそ、ギフテッドの親が自分自身を労わることは重要ですよ!

同じギフテッドで、よく似た親子と言えども、結局は、別の人格を持った人間どうしですから、親が子を理解するのは容易ではなく、そこに相当な努力を要するというのは、当然の前提だろうと思います。
その上での、「なぜ?」を敢えて探ってみたお返事でした。
これは、ギフテッド家庭の間で本当によく耳にする質問ですね。
何を隠そう、わたし自身も抱いた疑問ですし、専門家の元にも似た質問がよく寄せられるようですよ。
わたしがギフテッドセミナーに参加した際にもらった答えは、本人に「ギフテッド」という言葉を使って伝えるかどうかは、子供の年齢や性格、教育環境などの違いもあって、各家庭の判断に任せることになるだろうけれど、子供が周りと異なっていることは本人に予め伝えておく必要がある、というものでした。
なぜなら、その子自身が幼いときから、自分が周りと異なっていること、自分の興味や考えをなかなか理解してもらえないこと、周りから浮いていること(←必ずしも、そうばっかりではないですが)、周りとは互いに共感・同意できていないことが多々あることなどを、何となく感じ取っている、と。
そんな中、それはなぜなのか?という不信感を募らせ、周りと相容れない、同化できない自分はどこかおかしいのではないか?という自己否定に向かいがちだと。
人格が形成され、自己アイデンティティーが確立されていく、人間としての非常に大切な成長過程の中で、自己肯定感を全く持てずに悩み苦しみ、挙句、仮面を被って周りの考えやペースに合わせ、アンダーアチーバーとなり、コンプレックスを肥大させ、失望や絶望といった負の感情に囚われることにもなりかねないわけで。
ギフテッドとして生まれていることは、もう、どうにも変えようのない、否定しようのない事実であり、それは天が授けてくれた、一つの素晴らしい贈り物。
物の感じ方も、考え方も、最初から周りの大多数の人間とは大きく異なっているのだから、その違いを持った自分自身を忌み嫌うような真似をさせることがあってはいけない。
むしろ、早い内から、その違いがあることを教えてあげて、その違いを持っている本人のユニークさを、誰よりも、親が肯定してあげること。
その上で、周りへの対処法についても、親が積極的に教えておいてあげることの方が圧倒的に有益だ、と。
確か、そんな内容の回答だったと記憶しています。
ざっとアメリカのギフテッド専門家たちの意見を確認してみましたところ、概ね、同じようなことを主張していますね。
重要ポイント
真実に沿うべきであること。
子供には、分かりやすい言葉でもって伝えること。
そして、何よりも重要なのは、親の側が我が子の「giftedness(ギフテッドであること、ギフテッドのあり様)」を本人を前に認めてあげること。
子供の側は、すでに自分が周りの子供たちを違っていることを敏感に感じ取っているのだから、と。
確かに、学校にいれば、その違いは更に明白ですからね。
ギフテッドの人間は、言わずと知れた、優れた頭脳、優れた知覚認知力というものを持っていて、それは、彼らにとっての一つの強みとも言えるでしょう。
でも、優れた頭脳の持ち主が、果たして人として優れているかと言えば、断じてそうではなく。
人それぞれ、課せられた役割、果たすべき使命というものがある、と。
ギフテッドには、ギフテッドとしての使命があり、それを完遂させるために必要な頭脳と認知力、思考力、感性とが元々、備わっている、ということなのではないか、と。
あくまで、責任を果たすべき対象は、それを授けてくださった神に対してであって、比較すべき相手も常に自分自身。
そこに、他人の立ち入る隙は無く。
自分自身はベストを尽くしているのか、弛まぬ努力をしているのか、を自問することが大事だぞ、と。
もう、この辺りの考え方はね、各家庭、各個人の価値観とも関わってくるところだとは思います。
ギフテッドと言っても、何でもパーッと出来てしまうスーパーキッドというわけではなく、そりゃ、弱点もいっぱいありますし。
わたしが思うに、理想は、我が子の優れているところも、弱いところも、どちらもあるがままに認め、それをひっくるめて抱きしめてあげること。
強みも、弱みも、その存在を何ら否定することなく、親が我が子の未来のために一緒に努力を重ね、子供が自らの人生の目標・目的を見出し、それを果たすことのできるよう励まし、支え、そして、ある程度の年齢までは導いてあげる。
そんな言動を日々の生活の中で真摯に見せ続けていけば、それを間近で目撃する子供が傲慢になるなんてことはないと思っています。
ギフテッド専門家も言っているんですけどね、何もIQテストのスコアを逐一、子供に伝える必要は無いわけで、その代わり、だいたいのギフテッドレベルを教えてあげるだけで十分だ、と。
Moderately Gifted、Highly Gifted、Exceptionally Gifted、Profoundly Giftedなどの、あれですね。
特に、兄弟姉妹でIQテストを受けていた場合、互いの性格や点数如何によっては、兄弟姉妹間で凄まじいライバル意識をもたらしてしまうこともあるわけで、間違っても、それを助長させる必要はないですからね。
何をするにしても、バランスというものは大切なんだなあ、と思わさせられるわけですが....。
まさに、ギフテッドであるがゆえの違いを親が子供にどう伝えるのか、どういう言葉を使うのかに至っても、親のバランス感覚に掛かっているのかもしれませんね。

ギフテッドの子供を持つ親が知識武装することは、非常に重要です。
わたし自身、今までにたくさんの書籍を買い求め、学術論文に目を通し、セミナーに出掛け、ギフテッド専門家の講義に耳を傾け、それらの専門家に直接質問をするなどして、知識を深めています。
それもこれも、娘をよく理解するため。娘の本質を知った上で、娘にとっての最善の選択をしていくためです。
親子間の不毛な争いを避ける、という意味合いもあります。(笑)
実際、わたしが読んだ中から、ギフテッドについてもっと知りたい、ギフテッドの特徴について理解を深めたいと思われる方が最初に手にするものとして、有益だと思うものをご紹介いたしますね。
ただ、こういう専門書って、発行数もかなり限られているため、チャンスを逃してしまいますと、リーズナブルなお値段で手に入れにくくなってしまうという難があります。
後々、プレミアムがついて、第三者により価格が不当に吊り上げられてしまうことがしばしばありますので、ご興味がおありでしたら、お早めにどうぞ~。
《ギフテッドの特徴やOEを知るためには》
実は、「ギフテッド」という言葉が一切使用されず、著者の造語(Spirited Child)の元に描写されているんですけど、これはまさにギフテッドだわ!という性質について、詳しく語られています。
この本については、ギフテッド専門家がOE(内外の刺激に対する激しい反応)を定義するのに引用していたりするくらいですので、参考点が多いんじゃないかな、と思います。
「ギフテッド」というキーワードが入っていないがために、ギフテッドに興味をお持ちの方のレーダーを見事に外れてしまっています。
まさに「知る人ぞ知る」、「地に埋もれている宝石」的な書籍です。実際、読み物としても面白いんですよ。
日本語訳の方は2002年出版のようなんですけど、増版はされていないみたいなんですね。基本、USEDになってしまいますけど、早い時期でしたら、綺麗な状態のものがお得価格で手に入るような雰囲気です。
日本語のタイトルがイマイチなのがねえ....、何とも残念ではあるんですが。
尚、ご紹介の英語原書は最新版のもので、日本語訳の元になったものよりも、ページが増量されています。語られている子供像が、うちのオータムにもぴったりと重なっているので、実に身につまされるものがありますよ。(笑)
《ギフテッドのレベルを大方で把握するために》
ギフテッドのレベルを独自のスタイルでカテゴリー分けしています。
ケーススタディーがメインで、成長の軌跡(発達のマイルストーン)に関する具体例が多いため、読み物としても面白く、わたし自身、貪るようにして読みました。
とは言え、これら、成長の軌跡によるレベル分けをそっくりそのまま鵜呑みのして、それだけで判断するのは危険で、あくまで、そういう傾向を著者(心理医学者+長年に渡り、アメリカ・メンサのディレクターを努めた)が自身のクライアントを通して見つけた、という理解でいるのがいいかな、と思っています。
同じギフテッド、同じギフテッドレベルにしても、個人差はつきもの。一人一人がユニークな存在なんですから。
今でも、かなり参考にしていますし、わたしの記事でも、この本から相当数、引用していたりしますよ。お気に入りとも言うべき書籍です。
《ギフテッドについての概要を掴むために》
ギフテッド入門書とも言うべき書籍で、誰もがここからスタートします。
英語圏に住む人間が、我が子のことでギフテッドについての情報を求める際に、真っ先に手に取る本ですね。
有益な情報が全体に散りばめらていて、しっかりと読めば得るものも多いです。
専門家からも高く評価されていて、これからギフテッドへの理解を深めていきたい人には、最適とも言えます。
間もなく、「わが子が『ギフティッド』かもしれないと思ったら:問題解決のための実践ガイド」というタイトルにて、待望の邦訳発売ですよ!(現在、予約発売受付中)
日本の出版社の紹介文によれば、「“天才児”などともてはやされる、1つ以上の特定の領域で突出した能力をもつギフティッド児とその親は、世間一般の無理解により有効な教育・支援を受けられず、日常的に多くの困難に直面している。
特に日本では制度も整備されておらず、欧米に比して深刻な遅れがある。本書は、3%が該当するともいわれるギフティッド児たちの優れた特性と潜在的な困難の正しい理解を促し、彼らの社会的・情緒的ニーズにあわせ親や教育者がすぐに取り入れられる対処法をわかりやすく詳説。
2Eに関しても章を割いて論じる。
育てにくく、生きづらいギフティッド児とその親、支援・教育者のバイブル。」となっていますよ。
そうですね、言うなれば、ギフテッドの概要をぱーっと掴ませてくれる内容になっていますかね。
が、やはり概要は概要ですので、更にギフテッドというものを追及していきたい人間にとっては、若干、物足りなさを感じなくもない.....かな?
わたし自身は、この書籍を礎に、ギフテッドの知識を更に積み重ねていく、ギフテッドの内面世界を更に掘り下げていく、といったスタンスでいます。
☆☆☆「わが子が『ギフティッド』かもしれないと思ったら:問題解決のための実践ガイド」予約発売中☆☆☆
《ギフテッドにありがちな誤診や見逃しに一石を投じる》
ギフテッドと2E(ギフテッド+発達障害・学習障害の併発)についての重複点や違いについてが記述されています。
ADDやADHDについても、詳しい記載がありますので、ギフテッド、ADD/ADHD、ギフテッド+ADD/ADHDの大方の概念を把握できるような感じです。
他にも、学習障害、睡眠障害等、ギフテッドの特徴とも関連性のあるものが列記されていますよ。
残念なことに、心理医や小児科医が誤診を下してしまうのも、ギフテッドには付き物と言えます。
我が子がギフテッドなのか、発達障害を持っているのか、それとも両方を持ち合わせているのか....という疑問に対し、見極めるためのヒントを多数、提供してくれる内容になっていますよ。
そんな貴重な専門書の待望の和訳が登場です!
出版社の紹介文には、1つ以上の分野で並外れた才能を示すギフティッド。しかし、その行動特性ゆえ幼少時から偏見や無理解の対象となりやすく、様々な精神疾患と「誤診」されることが少なくない。本書では、豊富な事例から類似する障害の特性と比較し、ギフティッドの抱える特有の問題や支援の実践を示す。正確な理解に向けた手引きとなる一冊、とありますよ。
ギフテッドならずとも、何らかの才能を扱った映画作品って、見ているものの注意を惹きつけてくれますよね。
やっぱり、そういう作品って、見ている側にも、分かり易いものが多いかな。
大抵、音楽とか、ダンスとか。
「Gifted/ギフテッド」と言うよりは、「Talented/タレンテッド」の要素が強くなっていますね。
アカデミックな分野でのギフテッドの場合には、これまた、手っ取り早く、数学が圧倒的に多いという印象です。
「グッドウィル・ハンティング」然り、わたしが渾身の力を込め、気力を振り絞るようにしてレビューした映画「ギフテッド/gifted」然り。←おいおい。(笑)
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ギフテッド親のネタバレ感想と本音評価☆映画「gifted」見たよ
ギフテッドを身近に抱える人間ならば、どうしたって気に留めずにはいられない映画作品。 それが、クリス・エヴァンス、マッケナ・グレイス主演の「gifted/ギフテッド」。 元 ...
うーん、わたし自身が、数学が苦手なせいか、こうした「ギフテッド」を扱ったものでは、数学以外の方が心に残るかな、正直。
そりゃ、「グッドウィル・ハンティング」なんかは、十分、佳作だとは思いますけど、敢えて意地悪な言い方をしてしまうとね、映画を作る上で、数学って扱い易いし、簡単に演出できてしまうと思うんですよね。
黒板に複雑な数式をバーンと出せますし、「MIT(マサチューセッツ工科大学)」という大学名をあちこちで使って、ちらっとでもキャンパスを映せば、それだけで観客に認知されてしまうと言いますか。
へえ、そうなんだ、凄いねえ、ってなりますよね。
ただね、その才能の奥深さだとか、才能の有りように興味を抱かされる、という感じではないんですよ。どちらかと言うと、それを取り巻く人間関係だったり、主人公の暗い過去だったりの方が本当の意味でのテーマになっています。
つまり、そうした作品の中での「ギフテッドであること」って、ヒューマンドラマを展開していく上での、極上のスパイスみたいなものなんですよね。
そう、サフランだったり、ガラムマサラだったり(笑)。←なぜに、インディアン?
そういうスパイスだからこそ、ぱぱぱっと振りかけられる方がいいわけで。
となると、さっき言ったみたいな、「数式」バーン、「MIT」バーン、とやれる方が制作側にしたら都合がいいんでしょう。
でもね?
個人的には、もっと、真っ向から「ギフテッド」にタックルしていくタイプの方が好みかな。
例えて言うならば、チキン・ティッカマサラ(クリーミーなトマト風味のイギリス発祥のインディアン・チキンカレーです!)のチキンの役割って言うのかな?
そう、あなたがいなけりゃ、そもそもメニューが成り立たない!という扱いを希望します。(笑)
すみません、前置きがどどーんと長引きましたけど、そんな「チキン・ティッカマサラ」な作品を厳選して、2点だけご紹介させて頂きたいと思います。
どちらも、本物の秀作で、わたしのお気に入り。
派手さはないものの、じーーーーーん、と胸に迫ってくるストーリーに仕上がっています。まさに珠玉の作品と言えますよ。
〈日本のAmazon:レンタル〉
藤井聡太さん(彼も、高レベルのギフテッドですね!)で盛り上がっている、日本の将棋界。この将棋と発祥を同じくするチェスを題材にしています。
実話を元にしていることもあって、迫力がありますよー。
チェスのルールを知らなくとも、純粋に楽しめますし、「チェスの才能」を「ギフテッドの概念」や「別の才能」に置き換えることで、「おおおおっ」と見えてくるものがあります。
わたしは、この作品の中の母親の立ち位置が物凄くいいな、と思いましたよね。学ばせてもらいたいな、真似したいな、って。
実際、出番がそれほど多いわけじゃないんです。
でも、この母親というのがですね、我が子の才能に一番に気付き、それを開花させるきっかけを作ってあげるわ、その後も、そっと寄り添うようにして見守り、必要があれば、声を挙げて息子を守るわ。
目の前で大輪の花を咲かせようとする息子の才能に吞み込まれることもなく、それを感情的に諦めることもない。
いやー、もうね、この微妙なバランス加減が天晴れだわ、と。
主人公は主人公で、自分自身のチェスの才能と真摯に向かい合い、自分はどう受け止めていくべきか、どう付き合っていくべきか、という独自のアイデンティティーを確立していきます。←これも、見応えあり。
「才能」に加えて、「情熱」というものがいかに大切かも教えてくれますよ。
この作品の脇を、「え、あの人まで?!」という名優たちが固めていますので、こう、作品としても引き締まっています。
文句なしにお薦めですとも!
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こちらは、文学の才能をテーマにしています。
主人公がアフリカ系アメリカ人で、理想からはかけ離れた教育環境にいるんですが、一つの出会いをきっかけに、その才能をいっきに開花させていきます。
その出会いとは、ショーン・コネリー演じる、ピューリツァー賞受賞者。
でもって、主人公に敵対する相手を演じるのがねー、あの「アマデウス」のサリエリ役がハマりすぎた、F・マーリー・エイブラハムなんですよ。
いやー、お見事。やっぱり、あなたでしたね。(笑)
F・マーリー・エイブラハムはねえ、すっかり、そういう類稀な才能に嫉妬する役のイメージが定着しちゃって、可哀想と言えば、可哀想なんですけどね。まあ、この作品では、存在感にしろ、嫌味な態度にしろ、さすがといった風情でしたよ。
実は、専門家のギフテッド研究でも、アフリカ系や移民系などのマイノリティー、家庭環境に恵まれていない子供たちの中にも、無視できない数のギフテッドが存在することを指摘しています。
文化や言葉、また、経済的なハンディーキャップがあるために、そんな環境に置かれているギフテッドが周りに気付いてもらえない、見つけてもらえないという現実を非常に危惧しているんですね。
この作品では、まさにそのジレンマにもスポットライトを当てていますよ。
でも、作品中、特に圧巻なのが、主人公が反旗を翻すシーン。見ている側も、十分なカタルシスを経験できます。
感情が高ぶり、主人公の口から「F」ワードが発せられたりもしますので、そこだけは注意です。
ハッピーエンドと言えば、ハッピーエンド。
何となく、予想ができてしまうエンディングではありますけど、爽やかな中にも、胸に疼きを覚えるような、そんな感覚がありますね。
何でしょう、静かに余韻に浸っていたいような、自分自身も過去の落し物を探しにいきたくなるような.....?
世代の異なるギフテッド二人の、静かながらも、ダイナミックな友情。
人格と人格とが真に触れ合ったとき、そこには大きな化学反応があり、変化があり、両者のアイデンティティーにも大きな影響力をもたらしてくれるんだよ、と。
そんなメッセージを深い感動と共に伝えてくれる作品です。