刺激を求めて三千里?!
には及ばずとも、娘の飽くなき知的好奇心への刺激を求めて、自宅から数十キロ。車を飛ばして参りましたとも!
記念すべき第一回目は、じゃーん、水族館であります。
-
-
子供の脳を活性化!週末に日帰りで行きたい知的好奇心を刺激する場所
「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」 昔、こんなキャッチーなコピーがありましたね。 あれから時が流れ....。 今の時代の親御さんたちが我が子に願うのは、どんなこ ...
いやー、これね、結論から言ってしまいますけど、「いいの? いいの? 本当に?」っていうくらいの大成功を収めてくれたんですよ。
もう、ホント、連れて行ってあげて良かった、水族館!
傍から見ても、娘の五感がビシバシ刺激されているのが分かって。どこに行っても、娘のたくさんのおしゃべりと、たくさんの笑顔。そうよ、これを見たかったのよ、と。
でも、あまりに成功し過ぎた結果、最後、親が酷い目に遭ってしまった、と。
えっ?
ビーッ、ビーッ、ビーッ!
そうです、あの子、刺激を受けすぎて、ギフテッドチャイルドに顕著なOEを発動させてしまったんです。
あちゃー。
ある程度は予想はしていたんですよ。親としても、多分、来るだろうな、いや、絶対に来るだろうな、と十分に前準備していたつもりだったんです。
なのに、本人がこれでもかというくらいに水族館を気に入りすぎて、こちらの予想を遥かに超える巨大なOEを引き起こしてしまったんじゃないか、と。
しかも、そこから一気にやって来た連鎖反応。
あーあ。
いったい何が起こったのか....。ドミノ効果? いや、雪だるま方式と言った方が合っているかも....。全くねえ。
その辺りの基本的情報を絡めながら、「ギフテッドの具体的特徴や生態」についても、わたくし、更紗が、今回はシャーロック・ホームズになり切って、(いや、どうせなら、ポワロでも、ミス・マープルでもいいんだけどさ)、一つのケースタディーから答えを導き出していければ、と思っていまーす。
まずは、欠かせないギフテッド基本用語から

ホームズ氏の推理はここから始まる
キーワード:五感とは
というわけで、気を取り直して解説をば。そもそも、五感とは、以下の感覚を指していますよ。
- 視覚:目で見て受ける刺激。光景、景色、色彩、形、動き。
- 聴覚:耳で聞いて受ける刺激。音。
- 嗅覚:鼻で嗅いで受ける刺激。香り、匂い。
- 味覚:口と舌で受ける刺激。味、食感。
- 触覚:手や足他、体の部位や肌を通して受ける刺激。感触、質感、温度。(尚、指先で小さなものを摘めば、ファインモータースキルにも繋がります。)




キーワード:OEとは
そして、もう一つ、今回の中心キーワードとも言うべきOE。

今ひとつ分かりにくい専門用語ですが、つまりは、内外からの刺激に対して過敏、過剰な反応を起こすことを意味しているんです。
元々が非常に繊細な作りをしているギフテッドですから、ありとあらゆるものが刺激になり得るわけですが、それら刺激への反応を5種類に大別して、ギフテッドの心理的特徴を理解するための基盤を作ることになったのが、ポーランドの心理学者、ドンブロフスキでした。
このOE概念は、ギフテッドの不可解とも思われる言動に光を点す上で、非常に大きな役割を担ってくれていますよ。
ちなみに、OEのカテゴリーとは以下の五種類に及びます。
- 精神運動性OE:過度に行動的でエネルギッシュ。脳への刺激過多で、眠れなくなることもある。何事にも能動的で、ADHDに間違われやすい。
- 知覚性OE:五感に訴えるものに激しく反応する。音楽や絵画を深く体験する一方で、匂いや音にも敏感。洋服の内タグや靴下の縫い目すらも嫌がることがある。また、質感、食感ゆえに、特定の食べ物の好き嫌いがある。
- 想像性OE:想像の翼を持ち、ちょっとしたことに対しても、いわゆる、シェークスピアやホメロス劇場を展開する。傍からは、大げさで芝居がかっているようにも見える。白昼夢を楽しむ。夜見る夢の内容が、朝起きても記憶に鮮明に残っている。悪夢をも見やすい。
- 知性OE:知識を得ることが最重要となる。自分の関心ごとについて、延々と問い続け、答えを見つけようとする。大人に、質問をし続けることも。度を越した集中力を持つ。自分の中で理論的思考を展開する。
- 感情性OE:ありとあらゆる感情が過度に表現される。非常に繊細で傷つきやすく、心配性で怖がり。時に、癇癪をも引き起こす。
名探偵シャーロック・ホームズは推理する?!

いざ、捜査へ!
探偵術において最も重要なのは、数多くの事実の中から、どれが付随的な事柄でどれが重大な事柄なのかを見分ける能力です。これができないと、精力と注意力は浪費されるばかりで、集中させることができません。
《シャーロック・ホームズ「ライゲイトの地主」より》
今回、せっかくホームズ氏をお招きしていますんで(おいおい!)、どうせならば、一連の出来事を一つの物語として見なしてみましょうか。
20世紀中盤にアメリカで始まったニュー・クリティシズム/New Criticismという文学評論手法があるんですけどね、それによると、優れた物語には、2つの大きな要素が同時に含まれている必要があるんだそうです。
- 一つ目が、「驚き」の展開。そう、サプライズのことです。何と言っても、読者の予想を裏切る驚きの展開が必要なのですよ。
- 二つ目が、その展開を支えるだけの「説得力」。驚きの展開の背後には、しっかりと説得力のある理由付けが不可欠なのです。

ま、シャーロック・ホームズが活躍したのは、19世紀から20世紀にかけてのイギリスですが(おいおいおい!)、同じホームズ氏でも脳内キャラですからね、そこら辺の矛盾については、大らかな気持ちで華麗に無視していきたいと思いまーす!
名探偵シャーロック・ホームズ、ギフテッドOE事件を追う
では、目撃証言に移ろうか。夕方の水族館で最後、何があったのかを話してして頂こう。
目撃証言:水族館に到着するまで
思えば、最初からずっとテンションが高かったんですよね、あの子。水族館に行くのをとっても楽しみにしていて。まさに、指折り数えていたという感じでした。
車の中でも、とにかくよくしゃべること! 窓から見えるもの、車の揺れなど、これでもかと実況中継をしたりして。
朝食をしっかり済ませてきたというのに、その内、お腹が空いたと言い出す始末。それには、わたしも少し驚いたんですけどね。本当にお腹が空いていると言うので、持ってきたエナジーバーの内、チョコレート風味の焼き菓子のようなものをあげました。
目的地の水族館へは市街を通っていく関係上、車では不便ですし、駐車料金も嵩むかなと、途中で駐車して、そこからは公共の交通手段を使ったんですよね。切符を買っているときでさえも、あの子、大人しくしていられなくて。
どこに行っても、そわそわしていたんですけど、エスカレーターのところでは、「きゃー、怖い! 抱っこして、抱っこして!」と。
もう仕方無いので、あの子を一旦抱き上げてエスカレーターのステップのところに降ろしてあげるという作業を何度もしたり。
そういうことが何度か続いて。もうね、やっとのことで目的地に到着したんですよ。
水族館の外側壁には大きなエイの彫刻が飾られていたんですけどね、今、思えば、その日の出来事を象徴してくれているかのようでした。
それがはっきりと分かったのは、もっと後のことなのですが.....。

やけに象徴的な物体
目撃証言:水族館内
館内に足を踏み入れて、わたしたちが真っ先に向かったところは、エイとサメのいる水槽です。

最初に向かったところは
見ている目の前をエイが悠々と泳いでいくわけなんです。サメは人のざわめきのせいか、どこかに隠れてしまっているようでしたね。
この水槽では、ただ見るだけでなく、直に生物に触れられるとあって大盛況。
その日は金曜日だったせいか、最初、娘は、「他にも子供がいる? 水族館に来る子は、わたしだけじゃないよね?」なんて気にしていたんですけどね、何のことはない、学校の遠足なのか、課外授業なのか....。子供たちの集団も大勢加わって、それは賑やかだったんです。
娘は予め、自宅でエイの触り方についての動画を見ておいてあったんですよね。なのに、実際の場面になったら、怖気づいてしまったようで。
本当は、水の中に手を入れておいて、エイが近くにやって来るのを待つ、という段取りなんです。係員の人もマイクロホンを使って、そう説明してくれていました。
なのに、ほら。あの子ってば、水槽に向かって、形、手を伸ばしているだけで、実際には水の中に手を入れていないんです。ひたすら、恐々という感じなんですよ。
思いっきり、えいやーと行ってくれるのかなと思いきや、初めて体験することに対しては、非常に慎重な性質のようです。こんな状況がずーっと続いて。そうですねえ、40分とか、45分くらいだったでしょうか。
結局、その段階では、あの子、エイに触れていなかったと思います。最後にちょろっと形だけ、手を水の中に入れたくらい。

最初はおずおず
目撃証言:エイのコーナーを離れる
じゃあ、そろそろ、別の所を回ろうか、ということになって、一旦は、その場を離れました。課外授業で来ていたらしい小学校の中学年くらいの子供たちで溢れかえっていましたので、ある意味、仕方なくという面があったのかもしれません。
でも、あの子、時折、別の水槽の前で一緒になった小学生たちに、にこにこと話しかけたりもしていたんですよ。「ほら、その魚、見てみて。ほっぺをプクプクさせて面白いね」とか。
その話しかけ方がとにかく自然で。生後18ヶ月のときでさえも、外出先でにこにこと大人に話しかけていたんですよ、あの子。やっぱり、元々が社交的な子なのかな、と思いましたね。
でも、水槽前で話しかけられていた小学生は、逆に「あなた、誰?」みたいな固まった表情になっていましたけどね。
娘は、多分、その子たちが学校単位で来ていてるとは思わないで、親と一緒に水族館にやって来た子たちだと思ったんでしょう。うちはホームスクーリングをしていますので、どうしても、そういう学校の行事に疎いんですよね。
この辺りは、本人、興味を見せつつも、割とさーっと通過していけたコーナーですね。

ペンギン
クジラの骨格標本の展示コーナーでも、わーっと言いつつも、さらっと通過できましたし。

クジラの骨格標本
水族館の中心とも言える縦長の深い水槽。告白してしまいますけどね、わたしが見たかったのはこれです。目の前をゆったり泳いでいく魚の群れをぼーっと眺めながら、ほおっと一息吐きたかった、というのが本当のところ。
自分の中の何かが解きほぐされていくようで、その気だるさの中に癒し効果があると言うのか....。まあ、ストレス解消にはもってこいのアトラクションだったんです。
水槽の周りは、螺旋状になっていました。深海魚や熱帯魚など、小型、大型、それはもう様々な種類の魚で溢れ返っているんですよ。娘もしばしば立ち止まっては、楽しそうに眺めていましたよ。水槽のガラスに顔を近づけてみたり、きゃっきゃっと声を上げて笑ったり。
でも、決して、この水槽の前で何十分も過ごすということはありませんでしたね。

上から見た巨大な水槽
目撃証言:浅瀬生物のコーナー
ある意味、契機と言えるのか、どうか....。娘がエイのコーナーで見せたのと同じように夢中になったのは、やっぱり、自分で直に触って体験できるコーナーだったんです。
オイスターやホタテ貝、それに、ヒトデなどを中心とした浅瀬の生物たちを上手いこと集めた場所なんですけどね。

ホタテ、ヒトデ、オイスターも
このコーナーでは、ちょっと前屈みになるだけで、手が届くんですよ。エイの水槽に比べると、敷居が若干低くなるという感じですかね?
ここでも、娘は隣にいた女の子と仲良く会話をするようになっていました。どちらが先に話しかけたのかは覚えていないんですけど、二人とも同じ年頃でしたので、お互いに気が合ったんでしょうね。
娘は、その子にエイの水槽コーナーについて詳しく話をしてあげていましたよ。そこの水槽でも触れるのよ、いっぱいエイが泳いでくるのよ、とっても楽しいのよ、って。後で、一緒に行かない?って誘ったりもしていました。
本当にねえ、自分は怖気づいて、エイに触れなかったくせにですよ?

浅瀬に住む生物を体験
二人で何やら盛り上がっていましたよ。娘の表情は活き活きしていましたし。
多分、それに触発されて、勇気を出せたのかな、と思います。あの子、何の躊躇もなく、さっとヒトデに手を伸ばしていたんです。

ヒトデを掴む
他の生物にも次々と手を伸ばしていって、一つ一つ触ったものの感触を率直に表現してくれましたよ。「ざらざら」とか、「ごわごわ」とか。あと、「ゴムみたいね」とか。
もうね、どんどん大胆になっていきました。ここからは、脳がいっきに全開モードになっていたんじゃないでしょうか。
あ、そうそう。そのとき、目の前の水底でじーっとしていたホタテ貝が突然しゅるしゅると移動を開始したんですけどね、「ああ、生きているわ!生きているのよ!」と、声を僅かに震わせながら、シェークスピア女優も真っ青なドラマチックな様相を見せた娘。
オイスターを撫でては、「中に真珠が出来ているかしら? 貝殻を開けて見せてくれない?」と係員に尋ね、「貝殻を開けられるのは、中の貝が死んでしまったときなのよ」という答えをもらったり。
こうした独白や会話を次々と繰り出す娘に、周りの人がふふふと笑っていたり、目配せしていたり。中には、わたしに、「お子さん、何歳ですか?」と声を掛けてくる人たちもいたり。
娘に対して、周りがこんな反応を示すのとはいつものこと。ある意味、わたしにとっては見慣れた光景でした。あの子の言動がときに大人びていたり、ときにメロドラマチックだったりで、つい周りの注意を引いてしまうのでしょうね。
目撃証言:ランチタイム
もう、本当に、その浅瀬の生物体験コーナーを離れるのも一苦労で。
とうに2時を回ってしまっていましたので、何とか娘を説得して館内のカフェテリアに向かったんですよね。本来ならば、イタリア人街の専門ピザ店とか、拘りのサンドイッチ店とかを狙っていたんですけど。
それは、状況から判断するに得策ではないよなー、と。
まあ、正直、前日には半分諦めていたんですけどね。水族館を途中で抜けたり、水族館到着前にランチにしたりと、もう様々にシュミレーションしてみたものの、多分無理だろうな、という気持ちがあって。
水族館のウェブサイトで、館内にカフェテリアがあることを確認しておいたくらいですしね。
で、こちらが、娘、オータムがオーダーしたチーズピザ。本場ものには程遠いカフェテリアものですが。

カフェテリアでのランチ
わたしはと言えば、チキンサラダラップに、これまたチキンヌードルスープ。カフェテリアのものにしては、まあまあ、といったところでしょうか。

カフェテリアでのランチ
娘は、ぱーっとお皿を空にしていましたよ。もうね、どれほど、お腹が空いていたんだ! それならそうと、早く言ってくれ、と。
この後、たんぱく質補給のエナジーバーを半分をぺろっと平らげて。
夏季中はコーティングが溶けてしまうかもしれませんので、それ以外の季節にお勧めです。
他にも、普段だったら絶対に見向きもしないようなチェリーのかき氷風ドリンクを少しと、それはもう、食欲旺盛でしたね。
目撃証言:映画が始まるまでの空き時間
4:15PMには、チケット購入済みの3Dドキュメンタリー映画が始まることになっていましたので、ランチを終えたときには、正味1時間あるか無いかくらいの時間だったんですよね。
途中、こんなコーナーに寄り道したりも。
ここでも、オータムは係員の女性とわいわいと会話していたんですよね。これ、飼育しているアザラシだったか、アシカだったかの何頭の内、一頭の名前が何でも「アーシュラ」とかで、もちろん、二人で「リトルマーメイド」の話題で盛り上がっていましたよ!

さり気なく、こんなコーナーも
でも、やっぱり、娘の心はここにあり、でした!
どうしてもエイコーナーに戻りたい、と。
映画まで「あと20分あるか無いかだよ?」と本人にはしっかり伝えてはあったんですけどね、浅瀬コーナーで一緒だった親子と、ここでも遭遇。
俄然、娘のテンションが上がりましたとも!

またここに
女の子に「ほら、エイがいっぱい来たね!」と話しかけています。自分は、まだ触れていなかったのに....。
浅瀬コーナーに比べると、触る対象のエイは大きく、しかも動いていますから。こう、娘としても、プレッシャーを感じるんでしょうね。
でも、意を決して、あの子、遂に触ったのですよ!
「わああああ!」
この取って置きコーナーをその女の子に紹介してあげた、という気持ちがあったのでしょうか。二人で、何やら楽しそうに話しては、エイに触れていましたよ。
親としては、それを微笑ましく思う一方で、「時間だよー」がひたすら気になるわけで。

またここに引き寄せられて
敷地内の映画館に当初向かう予定の時間を過ぎてまで、エイの水槽にへばりついている娘。
行くよー。もう時間だよー。映画に遅れちゃうからねー。本当に時間が無いからー...を散々繰り返しても、エイから離れられず。最後は、親が背後から抱えるように、その場から引き剥がしたんですよね。
それは、もう大変で。娘ときたら、「映画なんて見なくてもいい。ここにいたい。エイに触りたい!」を繰り返すばかり。
いや、せっかくチケットを購入してありましたからね、それも、たかだか30分のドキュメンタリーなんですけど、3Dですし、そこそこの価格だったんですよ。
となると、絶対に譲れません!
娘は、移動する間も、メソメソ、グズグズでしたよ。
本来ならば、映画終了後にそのまま水族館を後にするつもりだったんです。でも、娘が泣き止まない。いつまで経っても、メソメソが止まらない。
ならばと、親としても妥協策を探り、映画が終わる4:45PMに速攻で水族館のエイコーナーに戻り、最後の10分、15分をそこで過ごす、というオファーを出したのでした。
「うん、そうする!」
ようやく笑顔を見せてくれた娘。クジラの3Dドキュメンタリーでは、妥協案にほっとしたせいか、本人、お腹が空いたと手持ちのチョコレートポップタルトを食べ、4:45PM間近、エンディングテーマが始まったところで、そそくさと席を立ったわたしたちでした!
今回ばかりは、「いざ、エイコーナーへ!」です。
目撃証言:閉館時間まで
繰り返しますが、その水族館の閉館時間は夕方の5時なんですよ。確か、閉館10分前には、もうすぐ閉まります、のアナウンスがあったんですよね。
娘にも、もうすぐ閉まるよ、その前にお手洗い行っておこうね、と伝えてみましたが、完全に上の空。親の話なんて、聞いちゃーいません。

例の女の子と一緒に最後の最後まで粘ります
娘の視線は、ひたすら、エイの水槽に注がれていました。ええ、一際大きな、豹柄のエイにです。
よく見かけるグレーのエイにはすでに何度も触れることが出来ていましたので、今度はどうしても別の種類にチャレンジしてみたかったんでしょう。
その豹柄のエイなんですけどね、他のエイとは違い、動きも鈍く、ゆっくりで、水槽の底近くを泳ぐんです。ずっと水底で停止したままというときもよくあって。
正直、娘の腕の長さで触れるのは難しいかな、と思っていました。
だって、あの子、着ている服が水に濡れるのを非常に嫌う子なんですよ。手を洗ったり、歯磨きをした後に、少しでも水滴が付こうものなら、きゃあきゃあ言いながら、気持ち悪いから着替えたいって主張するんです。
なのに、あれ?って思いました。
着ている長袖シャツの右腕部分、もちろん、腕まくりはさせていましたけど、水に濡れているのにも関わらず、そんなことには見向きもしないで、ひたすら豹柄のエイを追っているんです。
その内、エイがタンクから離れたところに泳いでいってしまい、娘が触れることは叶いませんでした。
そして、とうとう閉館5分前のアナウンスが響くことになって。普通だったら、残念だけれど、本当に残念だけれども、仕方ない、諦めようってなりませんか?
でも、娘の場合は違いました。絶対に、その場を離れたくないと言います。まだ豹柄のエイに触れていないから、と。時間ぎりぎりまで、粘るつもりだったようです。
いいえ、実際のところは、娘に閉館時間などは関係なく、自分の目標を達成することだけに囚われていたようにも見受けられました。
娘の耳には、「もうすぐ閉館だよ。アナウンスがあったの聞こえたよね? お手洗いにも寄っていかなくちゃいけないから、さあ、行こうね?」のわたしの言葉など半分も入っていないようでした。
ただ、エイに触りたい、そればかり。
さっとわたしの手をすり抜けたかと思うと、たったったっ、とタンク内側に設けられた岸に座っている係員のところに走っていき、「わたし、まだ、あの豹柄のエイに触れていないの。お願いだから、エイをこっち側に来させて」と頼み込んでいましたね。
「エイが自分で泳いでこない限りは無理かな」
「来て、来て、こっちに来て!」
閉館間際、その場にいたのは、係員と娘とわたし。もう一人、ティーンの女の子が親御さんとの待ち合わせで行ったり来たりしているくらい。振り返れば、たくさんの人が館外に向かって、ゲートをくぐっていく姿が。
「あ、来た!」
娘の嬉しそうな声が響き、また、たったったっとエイのペースに合わせて小走りします。
「これが最後だよ?本当に最後。水族館、もう閉まるところだからね?」
娘からの返事は無く。娘にとっては、わたしの姿も、声も、背景の一部になっていたのかもしれません。
エイが停止した地点で、娘は前屈みに必死で手を伸ばします。このままだと、自分の頭の重さで水槽内に落ちてしまうぞ、というところまで。
わたしが娘の体を背後から支え、娘には最後、心置きなく、右腕を伸ばさせてあげたつもりだったのですが.....。
「届かない!全然、届いてない! わたし、まだ触ってない!! 何でよ!何でよっ!!」
そうこうしている内に、エイはゆったりと向こう側に消えていきました。
「残念だけど、もう時間だから」
わたしの言葉に、ようやく振り返った娘の目からは、涙がぽろぽろ。

またもや、泣いてます
「だって、まだ触ってない! 豹柄のエイに触るまで、わたし、帰れない!」
そして、たったったっ、と前と同じように係員のところまで駆け寄って、「エイに触りたいの」と訴えます。
「ごめんね。もう閉館の時間だから。でも、ここをそんなに気に入ってくれたなんて嬉しいな」
そう、やんわり断られ、益々、涙がこぼれて。
娘は、未練がましく、水槽を見つめていました。最後は、母親のわたしが、娘を後ろから引きずるようにしてその場を離れたんです。
その後、まだ寄るところもあったため、二人で館内にあるお手洗いにまずは向かったんです。そのときになって、急に娘が「腕が気持ち悪い。これ、早く脱ぎたい」って、また泣き始めて。
エイに触ろうと、腕を水槽深くまで伸ばしていたので、シャツの右袖がずぶ濡れになっていたんです。エイを追っている内は、良かったんですよね。完全にそっちに気が逸れていて。
でも、現実に戻ったところで、自分の服が濡れていることに気づいたみたいですね。
あの子、お手洗いもギリギリまで我慢していたみたいで。結局、上着から下着、タイツに至るまで、本人の希望もあって、一式、新しく着替えさせたんです。
そこは、わたしの想定内だったと言うか、あまりの集中力のために、どんなに親が言っても、お手洗いに行くことも億劫になって、小さな粗相をすることは十分考えられるよな、とリュックに着替えを詰めてきてあったため、全く大丈夫だったのですが。
これで、ようやっとイタリアンスイーツのお店に行けるわと、「そろそろ....」と言ったわたしに向かって、あの子、何て言ったと思います?
だって、マミーは、わたしの楽しみをめちゃくちゃにした。まだ、エイに触れていないのに、わたしを無理やり水槽から引き離した!
もうね、カッチーン、ですよ。あんた、どの口がそれを言う?!みたいな。
そもそも、いったい、どこの誰が、この水族館に来ることを計画し、町の図書館にパスを申請し、予算を確保し、天気予報を確認し続け、エナジーバーやボトル水を準備し、娘の着替え一式とタオルをリュックに詰め、3D映画のチケットを買い、ランチにはイタリア人街のピザを諦めて館内のカフェテリアで手を打ち、最後の最後まで、娘の好きなように水族館を回らせてあげたと思っているのよ?!
目撃証言:水族館を出たとき
何とか、むっかーな気持ちを心に収めましたとも。そこは、一応、年の功であります。
未練がましそうに何度も何度も水族館を振り返る娘。
そして、そこに颯爽と現れた救いの手。それはですね、じゃーん、何と、例の女の子一家でありました!
オータムはその女の子と幾らかの時間を過ごすことで、ようやく気が晴れたのか、その子との会話中、ふと、こう言ったんです。
そうよ、そうなのよ。ささ、参りましょう!いざ!いざ!いざーっ!
目撃証言:イタリアンスイーツのお店にて
あれほど、チョコレートカノーリを食べたいと言っていたのにも関わらず、娘が選んだものは、バニラアイスクリーム。それも、お店に入った途端、最初に目に入ったものに飛びつくなんて。
もうね、何というか、がっかり....?
もっと、店内をよく見てから決めなさい、チョコレートカノーリはどうしたの? あれほど、カノーリにするんだ、て楽しみにしてなかった? そう何度も説得を試みたんですけどね。
本来ならば、持ち帰って、自宅で頂くつもりだったんですよ。でも、アイスクリームじゃ、持ち帰れないんです。ドライアイスなんて、結構な代物、ここには無さそうで。
だからさ、そこまで言うんだったら、アイスクリームでもいいけどね? 何もバニラじゃなくったって、もっと他に面白いフレーバーない?
いや、本当に。チョコレートとか、ラズベリーとかさ、もっと良さそうなものがあるんじゃないの?
何で、よりによって、わざわざイタリア人街にまでやって来て、ただのアイスクリーム? しかも、バニラなんていう、つまらないフレーバーを選ぶのよ?
で、近くの広場のベンチに座って、あの子、早速、ジェラートを頬張るんですけどね。あーあ、コートにまでアイスクリーム、もとい、ジェラートをこぼしてるし....。

最初に見たものに飛びついた人
そこで、ふと、我に返るわたし。あのさ、何で、この子ってば、こんなに糖分取ってるの?!
実は、この後も、またエナジーバーを車の中で食べることになるんですよ。もう、次から次へと甘いものばっかり。ちょっと何で?!
で、こちらが、わたしがオーダーして、自宅まで持ち帰ったもの。途中、公共の交通手段と車に揺られているので、若干、型崩れしていますが。

公共の交通手段で揺られながら、持ち帰ったイタリアンデザート
どうです? ティラミスだ、ストロベリーチーズケーキだ、とこんなに楽しいイタリアンスイーツがあったんですよ。なのに、あの子ったら、ただのバニラアイスクリームなんぞに....。
知的好奇心への刺激、その光と影

ここまでの時点で、7歳のギフテッドチャイルド、オータムの水族館での具体的な言動が目撃者の口を通して語られてきたわけですが、第二幕では、その原因や相関関係について、お待ちかね、名探偵ホームズ氏自らがギフテッドの見地からの解明を試みることに。
上手く行けば、未だ霧のヴェールに包まれたままのギフテッドの生態、特徴などが一部、浮き彫りにされることになりそうです。このケーススタディーを通して、ギフテッドとはいったい何者なのか、という辺りの核心にも迫っていくこととなります。
引き続き、ホームズ氏の謎解きが光る第二幕をお楽しみください。

インターミッション、間もなく終了です!

いよいよ、真相が明らかになってくれそうです。今回のヒロイン、オータムの態度が水族館で急変したこと。憎まれ口を叩いたこと。この最大の謎とは、いったい?!
それでは、お待たせいたしました、ホームズ劇場第二幕、いよいよ開幕いたします!
ホームズ氏は語る:ギフテッドの光と影
自宅にいるオータム嬢も、水族館にいたオータム嬢も、同じオータム嬢だ。何も、途中で誰かに変わったわけでも、タイムトラベルをして、実年齢よりも大人になったわけでも、その逆でもない。無論、別のペルソナが現れたわけでもない。
ここに1枚の硬貨があるとしよう。わたしが持っているものには、我が国の女王陛下の肖像が描かれているのだがね。
硬貨には、必ず、表と裏がある。仮に、硬貨の表をギフテッドとしての好ましい特徴だとしてみると、裏はその弊害とも呼べるだろう。
好奇心が旺盛なのは良いことだが、些細なことに気を取られて注意散漫になるのはいけない。集中力があることは好ましいが、周りの声が一切入ってこないようでは困る。深い思考力は素晴らしいものだが、その思考世界の中にどっぷりと浸かって、現実を忘れ、時間を守れないようでは社会生活が成り立たない。
つまり、それが硬貨の表と裏の関係だ。
と同時に、人間が時間の制約に雁字搦めにされれば、遊び心が失われる。そんな環境では、何の優れた芸術も、発明も生まれないだろう。あくせくした日常から、ふと目を逸らして、道端を行く小さな生き物や植物にきらきらとした目を向けることが出来なければ、人は輝きを失くしてしまう。
分かるかい? 何事にも光と影があるということだ。硬貨は片側だけでは存在することを許されていない。硬貨の価値を認めるのならば、それを手にする人間は、どちらをも受け入れる必要がある。
相変わらず、鈍いな、ワトソン君。ぼくは、そうは言っていない。何事も、バランスが重要だと言っているんだ。そして、まだ自分でバランスの取り方が会得できていない子供のためには、親の側がよっぽど気を付けて環境を整えてあげる必要があるとね。
少し別の視点から見てみようか。この硬貨だがね、それほど重いものではない。だから、これを君の掌にぽんと置いても、君の掌が傷付くことはない、そうだろう? だが、この硬貨を高層建物から落としたらどうだろうか? 或いは、この硬貨を君に向かって勢いよく投げたとしたら?
おそらく、君は無傷ではいられないだろう。それはなぜか? そこに、外からの余分な力が掛けられるからだ。
いや、何も物理学や力学の話をしているわけじゃない。オータム嬢がなぜ、あのような言動を取ったかというところを説明しているんだよ。分かり易く、例えを用いてね。
端的に言うならば、今回、普段と比べて、あまりにギャップがあり過ぎた。まさに、高層から、この硬貨を勢いよく地面に投げつけたのと同じ効果を得てしまったということになる。
知的好奇心への刺激を求めて、水族館に出掛けることはいい。五感で以って、物事を体験する。素晴らしいじゃないか。そして、親御さんはオータム嬢のOEを予め見越して、それなりの準備もしていった。良策だろう。
しかしながら、外からの大きな負荷が掛けられたということだよ。ぼくが思うに、何よりもまず、ギフテッドならではのエネルギーと呼ぶべきものを温存すべきだった。
途中、公共の交通手段を使ったと言ったね?
オータム嬢は、普段、ホームスクーリングをされているのだろう? ならば、よっぽどのことが無い限り、公共の交通手段を使うことがない。学校に行くのに、スクールバスに乗る必要もないのだからね。
しかも、大部分を自宅で過ごす。当然、ホームスクーリング以外では、サンデースクールやダンスレッスン、買い物や遊び等で外出することもあるだろう。だが、基本は、どこに出掛けても、少人数設定であることは間違いないはずだ。
すでに、ここで大きなコントラストが垣間見えてこないかい?
しかもだ、水族館は、オータム嬢にとっては、非日常の世界だろう? 広い施設に、数多くのの人間。普段だったら知り合えない子供や大人たちと自由に会話をする機会がそこここに転がっている。
どうかな、ワトソン君。オータム嬢にとっては、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五感だけでなく、人との対話--そう、自由な会話のやり取りのことだよ。それこそが、もう一つの重要な感覚となって、本人に大きな刺激を与えているように思えるんだ。
ホームズ氏は語る:二つの気質とギフテッドの関係
オータム嬢は外向的であり、しかも、社交的な性格の持ち主だったね?
外向的な人間と内向的な人間の決定的な違いは何だと思う? 断っておくが、外向的な人間だけが社交的なのではないし、内向的な人間が人付き合いが苦手だの、暗いだの、引きこもりだの、というわけではない。外向的な方が、より望ましいということもない。
君も医師ならば、その辺りはよく分かっているだろう? これは、純粋に心理学的見地からの解釈になるが、1日の終わりに、どのように活力を得えうとするのかが、外向的な人間と内向的な人間の気質の違いとなるわけだ。
一言で言うならば、充電の仕方、とでも表現できるだろうね。
外向的気質ならば、人との会話を通し、また自分の考えを主張、表現することで活力を得るだろう。逆に内向的ならば、一人になって、心を落ち着けることを好むだろうね。
内向的な人間にとっては、1日の作業を追えた後では、一人で過ごす時間というものが何よりも大切になるのだよ。
ギフテッドに内向的な人間が多いのは、よく知られた事実だね。特に、高レベルのギフテッドになるほど、圧倒的に内向的な人間の割合が大きくなる。
オータム嬢は、内向的な要素も持ち合わせているように見受けられるが、総合的に見れば、外向的な性質だと言えるだろうね。
もしも、オータム嬢が高レベルのギフテッドということになれば、ある意味、それはレアなケースだと言えるかもしれない。外向的なタイプは、高レベルのギフテッド人口においては、僅かな割合しか占めていないからね。
何だい、ワトソン君。随分、興味津々と言う顔をしているじゃないか?
自分の気質や性格を客観的に知ることに興味があるのならば、そうした性格診断テストを君に紹介してもいい。ギフテッドの世界では、この性格診断テストも重要なカギになっているからね。
ホームズ氏は語る:垣間見えるギフテッドの特徴
さて、ぼくが何を言いたいか、というところだが、そうさ、自覚はあるのだよ。若干、横道に逸れたかもしれないとね。
では、話を元に戻そうか。ギフテッドには、ギフテッドならではの特徴がある。その中のいくつかをオータム嬢も水族館で見せているようだ。オータム嬢の好奇心が旺盛なのは勿論だが、ぼくから判断して、特に目立つのは、凄まじいまでの集中力、拘り、目標達成への強い意志だな。
興味があることに対しては、とことん突き詰めていく、これもギフテッドの大きな特徴だよ。知ってるかい? ギフテッドの人間は、興味対象物をただ眺めているのではないんだ、彼らはロックオンしてしまうのだよ。
つまり、潜水艦で水中へと潜り、そのまま何千、何万マイルも航海する状態に例えられるかもしれない。或いは、鉱夫が地下にある金鉱から鉱石を掘り出している状態とも言えるだろう。
即ち、一旦、その興味対象をロックオンしたら、通常の意識に戻るまでに、それなりの時間を要するのだ。地上から呼び声が聞こえたところで、最終的にその声に反応して鉱山を後にし、実際に地上に戻ってくるまでにはタイムラグがある。
誰だって、一旦、地下に潜ったら、地上との間を行ったり来たりするのは億劫に感じるものだろう?
それをギフテッドの人間は日常生活の中でやっているのさ。物事への探究心と深い理解こそが、ギフテッドの糧だからね。言い方を変えるならば、彼ら特有の脳の構造がそれを彼らに否応なく課すのだよ。
だから、ギフテッドは、金鉱を目指して地下へと潜り、深く掘り下げていくことを好む。ギフテッドの子供がいる家庭では、日常生活でよく目にする光景なのだがね、何かに夢中になっているときには、夕食の時間になっても、そうさ、例え、己が空腹を感じていようとも、なかなか食卓に着こうとしない。
意識が完全に別のところ、そう、金鉱にあるのだからね、なかなか地上からの声も届かないし、届いたところで、それに反応できるまでには、幾分かの時間がかかる。
だからだよ、ギフテッドの人間が、アクティビティーからアクティビティーへ、この場所から、あの場所へとスムーズに移行できないのは。
彼らは、その脳の特徴ゆえに、生まれつき深い思考の持ち主と来ている。それは、ギフテッドの本能と呼んでもいいかもしれない。本人の意思とは関係ないところで、生まれたときから、すでにそれが組み込まれているのだよ。
言うなれば、彼らに対しては、深く思考するな、いちいち、探究心を持つな、と望んではならないということだ。それは、即ち、鷲に大空を駆けるな、と命令するようなものだからね。水族館のペンギンならば、喜んでその命令に従ってくれるだろうが...。
ギフテッドの人間にとっては、探究心を持つこと、そして、それに対する深い理解を得ることこそが生きる糧であり、死活問題ともなる。
だから、試しにその糧をギフテッドの人間から取り上げてみるといい。どう足掻いても、知的好奇心への渇望が満たされないと分かれば、彼らは、ゆっくりと死への行進を始めるだろう。彼らの瞳は、死んだ魚の目のように濁り始め、そして、その精神さえも静かに朽ちていく。
ワトソン君、アンダーアチーバー、もしくは、アンダーアチーブメントという言葉を聞いたことがあるだろう? ギフテッドの世界ではよく耳にするフレーズだよ。
主には、教育現場で、ギフテッドの子供の興味、能力に見合うものが与えられないがために、ギフテッドの子供が全くの興味と関心、やる気を失い、クラスにも参加せず、教師の話も聞かず、ただただ、落ちこぼれていく様を言うのだがね。
それは、本人にとっても、また家族にとっても、大きな悲劇だと言える。この悲劇が、決して稀ではないというところが、更に大きな悲劇なのだがね。
何だい、ワトソン君? また話が脱線している? 元に戻せ? ははは、さすがだな、君は本当に有能なアシスタントだよ。
まあ、要するにだ、ただでさえ繊細で過敏なオータム嬢が非日常の世界で圧倒的な刺激を受けた上、その外向的な性格ゆえに、そこで繰り広げられた対話に更に力と刺激を受けた。
それによって、脳がフルスピードで猛然と働いたが故に、言わば、反応性低血糖症に似た状態に陥ってしまったというところだろう。
ホームズは語る:脳の活動とエネルギー源
脳が体内のどの臓器よりも多くのエネルギーを消費することは、ワトソン君、医者の君ならば、無論、よく分かっているはずだ。そのエネルギー源の主な担い手がブドウ糖だ。
しかもだ、脳に蓄積可能なブドウ糖は実に僅かな量なのだよ。1日中、何の活動もしないで安静にしていたとしても、1日120gのブドウ糖を消費すると言われている。つまりは、時間にして5gだ。
これが、身体的活動を伴うとどうなるか。いや、特筆すべきは、頭脳を使い、そこに思考が伴ったときだ。どれだけの速さで、その僅かに蓄積できるエネルギーを消費していくことになるか....。
オータム嬢も、その日、いつに無く糖分を摂取しているのだったね? それも、本人が望んでのことだった。
ここにギフテッドと反応性低血糖症の関連性を謳った書物がある。ギフテッドの分野では著名な心理学者たちによるものだがね、参考になる箇所を紹介しておこうか。
我々の経験で言うと、主に160以上のIQを持つ高レベルのギフテッドの子供の内--そして、おそらくはギフテッドの大人も含め--凡そ、その5%-7%が、言わば、無自覚で反応性低血糖症と思われる状態に陥っているのです。
こうした症状を見せる子供たちは、物事への反応の仕方や喜怒哀楽の感情が特に激しく、身体的には、大抵、ほっそりとしています....
...実際に、この反応性低血糖症に似た状態に陥ると、今までしていたことも落ち着いて続けることができなくなります。気が散漫になり、非常に感情的にもなります。自分が感じている欲求不満に対して、癇癪を起こしたり、泣いたりと、過剰反応を示すようになるのです...
....物事への反応の仕方が激しいギフテッドの子供たちが、なぜ大量の燃料を必要とすることになるのかもしれないか、ということについては、生理学上の理由があるのです。
(ウェッブ他、2000、2005/日本語訳:更紗)
どうだい? オータム嬢のギフテッドレベルについては定かではないものの、 明らかに、この描写に合致しているように思えるのだがね。
低血糖症というのは、実にやっかいな代物でね、食物で血糖値を上げるのにも30~45分ほどのダウンタイムがあるのさ。食べてすぐには症状が回復してくれない。つまり、回復してくれるまで、本人も、周りも忍耐するしかないということだ。
一旦、血糖値が正常な数字にまで回復してくれさえすれば、本人の癇癪も速やかに納まってくれるというのは、ギフテッドの世界ではよく聞く話でね。本人たちは、その後、案外ケロッとしているよ。
そうだな、そこまでの酷い状況に陥ったときには、天然のフルーツジュースのようなものの方がいいのかもしれないな。糖分が血液中にすぐに流れてくれるからね。
だが、これには、専門家のアドバイスを仰ぐ必要があるだろう。残念ながら、ぼくも、さすがにそこは門外漢なのでね。
防止という意味でも、一番理想的なのは昼間に良質なたんぱく質を摂取しておくことだろう。血糖値の上昇の仕方も比較的緩やかで、その後も血糖値の急激な下降を防げるのだよ。その辺りは、医師である君の方が詳しいと思うがね。
ホームズ氏は語る:ギフテッドの現実とニーズ
最後に、ギフテッドのアシンクロニーという概念に触れておこうか。
これは、比較的新しい概念とも言えるが、単純に言うと、個人の身体年齢、知能年齢、精神年齢が同レベルにない、同レベルの早さで成長していないことを言うのだよ。
興味深いことに、ギフテッドレベルが上がれば上がるほど、このアシンクロニーも、より顕著に見られるようになる。
例えばだ、よく聞かれるのは、身体は年齢相応の発達状況にあるものの、知能年齢はそれよりも遥かに先を行っている。そして、精神年齢、いや、感情面が幼いという側面だ。
仮に、身体発達は年齢相応の7歳だとして、知能は12歳、感情面は5歳といった、チグハグな印象が見受けられるというのが、このアシンクロニーで、ギフテッドの特徴の一つなのだよ。
周りがそれを目の当たりにしたときには、さすがに面食らうが、それを抱える本人も、なぜという理由は分からずとも、何らかのやるせない、辛い気持ちを内に抱いている。
オータム嬢も、水族館では実年齢よりも、随分幼い面を見せているね。大人の説得を聞けないところや感情的になるところだ。
ギフテッドの子供に関して言えば、感情面とは大概そんなものだ。時期が来れば、その知力に十分、見合ってくれるだけの成長を遂げてくれるだろう。
だが、幸か不幸か、ギフテッド特有とも言えるOEは、生涯消えることはない。その代わり、日頃の躾や訓練、体験を通して、自らの意志を以って、ある程度のコントロールが効くまでにはなる。時と場所を弁え、内側から湧き出るOEを抑える術を学ぶからね。
ただ、それを抑えすぎるというのも、本人にはなかなかのストレスになるのだよ。ギフテッドの特性そのものを押さえ込むことになるからね。行き過ぎれば、自分自身のあり方を否定するということにも繋がる。この匙加減が難しいといったところだろう。
何事につけ、標準偏差において中心から何段階も逸脱した存在というのは、孤独に陥り易いものでね。絶対的少数なだけに、周りの理解を得られないというのは勿論のこと、この世は元々、大多数に焦点を合わせて造られているという点で、必然的に生き辛さを感じることになる。
ギフテッドが鬱になり易いことも、自死にまでに追い込まれ易いことも、その世界ではよく知られた事実だ。
考えてもみたまえ。ギフテッドの特性である、飽くなき探究心も、OEも、一生涯、その人間に付いて回るのだよ。それは、デイケアセンターからシニア施設に至るまで、ずっとということになる。
率直に言うが、実にお気の毒だよ。心から同情するね。
せめて、社会が彼ら、ギフテッドとは何者なのかと興味を示し、その特殊なニーズを知った上で、もう少しだけ寛容になってくれるならば、彼らとしても、そこまでの生き辛さを感じずに済むかもしれないがね。
それと同時に、ギフテッドたちも、もっと楽に呼吸をし、その自由な発想や創造力を通して、社会に新たな彩りを加えることが可能になるかもしれない。それは、社会が重厚さを増し加え、よりダイナミックな集合体になることを意味するのだがね....。
現代社会では、12歳の身体の中に7歳の知能が宿った子供に対しては、教育の現場でほぼ自動的にサポートが与えられる。国によっては、それが義務付けられているところもある。
それはなぜか? 誰しもが、その子供のニーズを即座に理解できるからだ。そして、そのニーズに応えてあげたいと積極的に願うからだろう。
では、反対に、7歳の身体の中に12歳の知能が宿った子供の場合はどうだろう? 不幸なことに、その子供のニーズは見事に無視される。
おそらくは、その知能の高さゆえに、自分で何とかすることができるだろうと思われてしまうからだ。それが、ギフテッドの子供たちが置かれた環境の現実さ。
標準偏差において、中央から何段階も逸脱するならば、その逸脱の方向性に関わらず、そこには独特のニーズというものが生まれるのだよ。当然、それに見合ったサポートが必要になる。
だが、その単純な事実がなかなか理解されない、殊、ギフテッドの人間に関してはね。
それは、なぜかって?
ここからは、ぼくの個人的意見と推測になるが、世の中では、その高いIQゆえにギフテッドであることが好ましいものであると勘違いされているからだろう。そして、そのこと自体が羨望や嫉妬の的にもなり易い。
一般社会では、ギフテッド=天才なのだという甚だ誤った概念すら、まかり通っている。それが、不用意に人の妬みや反発を招いてしまうのさ。
ぼくはね、天才がギフテッド人口に属しているという考えに異存はない。だが、ギフテッドが天才の同義語だという解釈には、断固として反論する。ギフテッドにも、レベルやスペクトラムがあるのだからね。
もう一度繰り返すが、ジーニアス/天才はギフテッドの一部だ。だが、断じて、ギフテッドはジーニアスではない。
分かるだろう? ギフテッドの高い知能を殊更に強調する風潮は、皮肉なことに、ギフテッドの数ある特徴の一つでしかない高い知力以外には、社会はその存在に関心を持ち得ないのだということを如実に物語っている。
もう一つ、ギフテッドのニーズが軽視される理由についてだがね。これは、先程の答えと全く矛盾するようだが、勤勉さと努力に大きな価値を置く社会では、生まれついての知的能力は敬遠される傾向にある。
中には、ギフテッドが生まれながらの存在であることを否定する人間もいるだろう。
それは、人は元々平等であり、環境によってのみ違いが出るという考えが根底にあるからだ。スタート地点は誰しもが同じであっても、本人や周りの絶え間ない努力によって、人は成功するのだと信じられているからだろう。
ならば聞くが、成功とは何だ? 社会が考える成功と、ギフテッドが考える成功は、しばしば異なる。言ったろう? ギフテッドにとっての死活問題とは、内なる探究心と、それに対する究明だと。
君が高等教育を受けるのはなぜか? そう聞かれて、将来のためだと答える人間は多いだろう。
そう、将来の成功のためだ。それは、ステータスのある職業であり、安定した経済力であり、高い地位であり、名声であり、ひいては、良き配偶者を得ることも含まれているかもしれない。自分を育ててくれた親への孝行の意味もあるだろう。
だが、ギフテッドの人間は、同じ「君が高等教育を受けるのはなぜか?」の問いかけに、おそらくは、こう答えるだろう。
ただ、学びたいから。自分の興味のある学問をとことん突き詰めていきたいから。
分かるかい? 彼らにとってのモチベーションの出所は、あくまで、対自分なのさ。自分の掲げる目標を成し遂げることに最大の関心を持つ。
もちろん、それなりの社会的成功を収めることも生活のためには必要だろう。誰しも、衣食住が満たされなければ、生活していけないのだからね。
だが、それそのものは決して、彼らのモチベーションにはなり得ない。他人との競争も、何ら、彼らの心を捉えることがない。
逆に言えば、もしも自分の目標を達成したと、自ら実感することさえ出来たならば、周りがあっと驚く方向転換を図ることだってやってのける。彼らにしてみれば、涼しい顔をして、専門を変えることすら、やぶさかではない。
その理由は何か? 最初に自分の掲げた高い目標を達成したということさ。そして、それは、完璧に筋が通っている。
ギフテッドは確実に存在するよ。彼らは、何かを成し遂げることでギフテッドと呼ばれるのではなく、ギフテッドとして生まれているから、ギフテッドなのだよ。
つまり、Doingなのではなく、Beingこそが、ギフテッドを語る上での神髄と言えるだろう。
そして、もう一点、彼らを擁護するならば、ギフテッドの人間が努力をしないというわけでは決してない。
彼らは、標準とは異なる思考回路の持ち主だからね、彼らの努力とは、一般の人間とは別の次元、別の方向で現れてくることになる。
まあ、そうは言ってもだ。ぼく自身、ギフテッドであることは決して好ましいことだとは思っていないのだよ。ある意味、痛ましいことだとさえ感じている。何だい、随分、怪訝な顔をしているようだね、ワトソン君。
その理由かい? この世に人として生きるだけでも、十分な労苦があるというのに、その上、ギフテッドならでの特性を常に抱えていなければならない状態は、決して愉快なことではない。正直、試練以外の何ものでもないだろう。
ホームズ氏は語る:ギフテッドを例えると
著名な心理学者、Dr.シルバーマンがこんな表現をしている。「ギフテッドが家庭に一人存在しているということは、自宅の居間に象が一頭、立ちはだかっているのと同じようなものだ」とね。
想像してみたまえ。居間の中央に象がでんとある光景を。目の前に立ちはだかる巨大な生き物をどう世話すればいい? 普通ならば、ひたすら途方に暮れるしかないだろう?
居間を横切ることすら叶わない。視界だって簡単に遮られるだろう。夫婦で会話をしていても、一度、象に啼かれれば、 たちまち、その会話の声は掻き消される。そして、象が歩く度に、家中が揺れて、ありとあらゆるものが棚から投げ出されて、砕け散るかもしれない。
Dr.シルバーマンが示唆したのは、一見、ギフテッドとは何ら関係ないように見える家庭内のいざこざや軋轢すら、ギフテッドの存在が直接、間接を問わず、何らかの影響を及ぼしているかもしれない、ということさ。
ギフテッドの存在が、家庭内の人間関係にしばしば、大きな負荷を掛けるというのは事実だよ。まあ、居間に象云々は、あくまで例え話だがね。
それでも、ギフテッドの子供がいる家庭の本質を実に正確に捉えた話だと思わずにはいられない。要は、ギフテッドの存在と、彼らがもたらす負の影響力をも、決して過小評価してはならないということさ。
そうじゃない。ぼくが言いたいのは、ギフテッドとはあくまで社会的弱者であり、大切に保護されるべき存在なのではないか、ということさ。と同時に、彼らは愛すべき、栄光に満ちた存在でもある、ということだよ。
ぼくは純粋に、オータム嬢や親御さんの力になりたいと思っている。だからこそ、この仕事を引き受けたのさ。ぼくにとっては、やりがいある仕事こそが報酬そのものなのだからね。
失敗は成功のもと
というわけでだ、これが今回の処方箋、いや、解決策となるな。
今度の事件で親御さんが得た教訓とは、物事を正しく解釈するのに、常に別の可能性もあり得るのだということを忘れてはいけないということだな。
《ホームズ探偵事務所推奨: 家族で外出する際の注意事項》
*車で自宅を出たら、そのまま車で最終目的地まで行く。途中で公共の交通手段を利用しない。
*途中で施設を出ない。基本、寄り道をせず、まっすぐ帰宅する。
*最初から、施設内のカフェテリアで昼食を取ることを前提にスケジュールのアウトラインを決めておく。施設外にあるカフェやレストランに行くことは避ける。
*反応性低血糖症を未然に防ぐために、早めにランチやおやつの時間にする。良質のたんぱく質を多く摂取することで、急激な低血糖症に陥ることを避けるようにする。
*特別な展示場や映画のチケットを購入する場合には、十分に時間やタイミングを計算した上で、真に本人の興味があるものに限る。
*前日までに、どの展示場に何時に行くのかを予め本人に何度も伝えておく。
*親の側が融通を効かせ、不測の事態には柔軟に対応できるよう、頭の中である程度のシュミレーションをしておく。
シャーロック・ホームズ後日談

この度は、ご多忙中にも関わらず、わたくし共のことで、ご丁寧なご推理と解決策を頂戴いたしましたこと、心より感謝申し上げます。
頂いたご助言につきましては、何度も何度も繰り返し拝読し、心にしっかりと焼き付けております。
娘、オータムは相変わらずエネルギッシュで、よく笑い、よくおしゃべりする、言わば、天真爛漫な様相を見せてくれております。先日、そんな娘を連れて家族で科学館に参りました。
その際、もちろん、反応性低血糖症の対策をしっかりと取るように留意いたしましたよ。前夜には、自宅で全粒粉100%のココアワッフルを何枚も焼きまして、科学館にエナジーバーと共に持参しております!
昼食を取るタイミングや特別展示場に入場する時間帯にも、十分注意いたしました。また、車でのドアー・トゥー・ドアを厳守しております。
そのおかげもあってか、娘は前回のように酷く感情的になることはなく、家族で「比較的」穏やかに、充実した時間を過ごすことが叶いました。今回も、娘にとっては、館内で出会う人々との会話のやり取りが一番楽しめたようです。
ホームズさまには、娘が理不尽な言動を取るときには、必ずそこに何らかの理由があること、それはただの我侭ではないこと、だから、親は頭ごなしに叱ってはいけないこと、そして、すぐに娘に腹を立てるのではなく、まずは娘を信じてあげることの重要性を学ばせて頂いたような気がしております。
親の側が柔軟に対応することが大切なのですよね。貴重なご助言に救われた思いです。
また、次回、娘のことで何かご相談させて頂きたい事などが生じました際には、ぜひとも、ホームズさまにお力添えを頂きたく存じます。
取り急ぎ、御礼とご報告まで。ホームズ探偵事務所の皆さまの更なるご活躍を祈りつつ。
-更紗
P.S. 先日の科学館での娘の様子を捉えた画像を2点ほど、同封させて頂きますね。

科学館、恐竜の足型標本にて

科学館、アポロ模型の前で
ただ、一つ言えることは、ぼくがギフテッドという愛すべき存在に対して、大いに同情を寄せているということだな。
エピローグ

わたしとしても、名探偵シャーロック・ホームズのイメージをなるべく壊さない程度に、節度を持って弾けたつもりではいますが....。あー、ごめんなさい。お願いだから、石投げないでーー!



