ギフテッド チャイルド ジャーナル

ギフテッドの娘と紡ぐ日常は、こんなにも瑞々しい

実写版ディズニー映画「美女と野獣」の見所は?ベルとエマの共通点!

投稿日:

こちら、アメリカでは少しずつ春めいてきています。もう間もなく、デイライト・セイビング・タイム(通称、夏時間)開始ですよ。

イースターも間近。

となれば、重い冬のコートをぱーっと脱ぎ捨てて、明るい春の装いでどこかに出掛けたくなりますね!

そんなあなたとわたしにピッタリな、ディズニー実写版映画、「美女と野獣」の予告動画をお届けいたしまーす。

ちなみに、アメリカでの公開は、3/17(金)。日本では、4/21(金)と決定していますよ。

さらさ
うううっ、ごめんなさい、日本向け予告動画は、地域制限があって、この場では再生不可能なようです。今回は、アメリカ版のみになりますが....。

せっかくなので、もう一つ。こちらは、アメリカ版、最終予告動画です。

 

 

ディズニーが予告動画に込めた意図

これを見ると分かるのですが、ディズニーはあらすじどころか、大方のストーリーや重要シーンを披露してしまうことに、何ら躊躇していない様子なんですよね。

ストーリーがどう進むのか、エンディングがどうなるのか。本当だったら、一番の見所になるはずじゃありません?

「手に汗握る展開」だとか、「はっと息を呑む結末」だとかね。

でも、この予告動画を見る限り、実写版、「美女と野獣」の見所はそこじゃないんだ、ということが分かります。

ま、いわずと知れた有名なお話ですし、この映画を目にする人間は、子供も含めて、ストーリーをよく把握していますので、ディズニーの狙いはそれなりに理解できます。

じゃあ、何が見所なのか、と言うと、ビジュアルの美しさを何よりも前面に押し出しているのではないかな。

そして、もう一つ。

1991年のアニメ版のイメージそのままに実写版にしてみました。我々、制作陣がどんなに見事にそれを成し遂げているのか、また、キャスティングにしろ、セットにしろ、流れる雰囲気にしろ、それら全てがまるで一つ一つのパズルピースのように、どんなにピタッとはまっているのか、そこを得とご覧ください、というところだと思うんですね。

さらさ
要は、ほれほれ、気になるでしょ?自分の目で確認してみなよ、ってところじゃないんですかね?
脳内キャラさら評論家
い、いえ、それだけじゃなくてですね、ひょっとしたら、アニメ版とは異なる、何らかのサプライズがあるかもしれませんよ。き、希望的観測ですけどね....。
さらさ
うーん、そうかなあ? まあ、敢えて変える必要もないんじゃない?っていう気がしなくもないんだけどな。

だって、今回の実写版の音楽担当はアニメ版と同じ作曲家、アラン・メンケンですし、作品の全楽曲を引き継いでいるみたいな雰囲気なんですよ。

もちろん、あの美しいエンディングソングも一緒。ただ、今回は、それを歌い上げるデュエットご両人が、アリアナ・グランデとジョン・レジェンドになっています。

ちなみに、これが1991年に大ヒットしたミュージカルアニメ版の「美女と野獣」。

そのときには、セリーヌ・ディオンとピーボ・ブライソンのデュエットソングが爆発的な大ヒットとなってくれたんですよね。

夫曰く、「『美女と野獣』を歌うセリーヌ・ディオンの声を初めて耳にしたときには、当然、黒人女性が歌ってるんだろうな、としか思っていなかったから、あの顔を見て、ひっくり返るくらいにビックリした」と。

それくらい、アフリカ系歌手の専売特許とも思われた、圧倒的にパワフルで、ソウルフルな歌声を聞かせてくれるセリーヌ・ディオン。

映画レビューに関しては、非常に辛口なわたしですが、そのわたしが思うに、あの1991年のアニメ版はディズニー映画にしては、構成といい、ストーリー展開のテンポといい、なかなか良く出来ていた作品でした。

 

ディズニー作品の個人的な印象

わたしが、ディズニーで秀作だと思えたのって、正直、「美女と野獣」、「塔の上のラプンツェル」くらいかな。

ほら、ディズニー映画って、アニメ版にしろ、実写版にしろ、基本、構成がしょぼいんですよ。ストーリーの脇が甘いのと、時間配分がなってないというのかな。

つまりは、ストーリーにメリハリが無くて、クライマックスがクライマックスになり切れていないんですよね。

それでも、時に大ヒットを飛ばしながら、そこそこ売れてきたのは、唯一、音楽が秀逸だったから。

あとは、ディズニーのブランド力、資金力、そしてマーケティング力の賜物でしょうね。そこはビジネス観点から見ても、特筆に価すると言いますか。わたし自身、真面目に学術論文の1本でも書いてみたい気持ちですね。

その代わり、一つのアート作品として見たときには、ははは....と苦笑させられるというか。お茶を濁すしかないというか。

正直、キャスティング予算やマーケティング予算をざっくり減らしてでも、脚本、監督、編集という、映画製作の一番のコアな部分に資金を集中して投入した方がいいと思うんですよ。

中でも、脚本ですかね。それくらい、センスがない。

「マレフィセント」なんかは、正直、何これ?でしたし、巷で空前の大ヒットとなった「アナと雪の女王」にしたって、わたしは、初め、どこの中学生が書いた脚本なのか、と思ったくらいです。

脳内キャラさら評論家
そ、そこまで言いますか?!

だって、冷静に考えてみてください。いったい、どこの王国に、得体の知れない外国人に国の采配を任せて、王城を空ける人間がいます? ちなみに、アナのことですけどね。

だいたいね、どの国の、どの歴史を見たって、開城とは最後の最後、他に何の選択肢も無くなって、領地領民の被害を最小限にくい止めるために、敵への降伏に際して行うものなんですよ。

戦国時代しかり、徳川慶喜しかり。

普通、それだけは避けたい、どんなことがあっても、城を守る、お家を守るっていうのが、王室であり、領主のすることでしょう。

だからこそ、日本では忠臣蔵であり、白虎隊でありが、見ているものの心を揺さぶるわけです。

映画、「ロード・オブ・ザ・リング(ス)」も、そう。そこが大きなポイントになっていましたね。

セオドン王やアラゴーンがしたのは、開城じゃなくって、篭城です!

これだから、王室のないアメリカは....と、わたし、更紗が思ったとか、思わなかったとか....。

まあ、要するにですね、自分の国にそういう王室の歴史が無いから、正確に言えば、かつて、アメリカ独立戦争で、本国イギリスの国王の支配から抜け出し、自由を得たことを誇りにしている国の人間が書いたものだからこそ、王国の根本が肌で理解できないんですよ。

そう、王室、王国の矜持と呼ぶべきものですね。

王室の人間が、アナみたいな空っぽの頭で、「あとヨロ」じゃ困るんです。危機感が無さ過ぎですって。

それこそ、一瞬で敵に征服されて終わり。一つの王朝どころか、一国が滅びてしまうんですよ。

もう、そこからして、論理破綻しているというのか、リアリティーに欠けすぎて、わたし自身は、その世界に入っていけなかった、というのが本当のところですね。

それとも、制作側は、「まだ幼かったアナがトロールに記憶を消してもらった際、誤って、知性まで一緒に消されちゃったんですよ!」とでも言い訳するつもりでしょうか? ならば、あの頭の軽さも説明がつこうというものですが。

わたしだって、本当は、こんな意地悪なコメントはしたくないんですよ。今回、取り上げているのは、あくまで「美女と野獣」なんですし。

ただですね、それだけ、ディズニー映画のストーリーにしろ、構成にしろが、しばしば穴/アナ(!)だらけ、ということを言いたかったわけなんです。

さらさ
ああ、ごめんなさい、アナ雪ファンのみんな、わたしに石投げないでー。

 

ディズニー実写版映画、「美女と野獣」

じゃあ、結局、あなたはディズニー実写版「美女と野獣」を見に行くんですか、どうするんですか?

そんなご質問には、こう、答えたいと思います。

さらさ
はい、行きますとも!

私的に、これって、凄いことなんですよね。何せ、わたしってば、娘が生まれて以来、映画館に足を運んだことが無かったんです!

あ、そう言えば、妊娠中も行ってないなあ....。ということは、少なくとも8年ぶりの映画館ですよ。しかも、事もあろうに、あれだけこき下ろしたディズニー映画なんですから!

「あ、分かります。お子さんもご一緒のファミリーイベントなんですね?」

「違います。わたし一人で行って参ります」

さらさ
えぇーーーーーっ!

本当にそうですよね。わたしも自分で言って、そう思います。

元々、映画を見るのは好きで、気楽な身でいられたときには、よく映画館まで足を運んでいたものです。娘が生まれてからというもの、なかなか自由が効かない状況でしたが、それでも、ときどき自宅でDVD鑑賞はしていたんですよね。

ただ、今回、そこを覆してまでも、わざわざ映画館に出向くというのはね、それも、娘の世話を夫に任せてですからね。

これは、わたしにとっては、かなり革新的どころか、革命的な出来事とも言えるわけなんですよ!

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 美女と野獣 ベル エマ・ワトソン ギフテッド

ここまで革命的かどうかは疑問ですが....

「久しぶりに極上のラブストーリーでうっとりしたいんですね?」

「全然! わたし、ロマンスには一切萌えない性質で」

「なら、エマ・ワトソンのファンなんですね? 『ハリー・ポッター』が好きだったとか?」

「違います」

「じゃあ、ダン・スティーヴンスですか? 『ダウントン・アビー』ファンって、多いですものね」

「わはは!」

「ということは、『ロード・オブ・ザ・リング(ス)』! ズバリ、ガンダルフファンなんでしょう?」

「げらげら!」

まあ、告白いたしますと、「ロード・オブ・ザ・リング(ス)」は、大好きでしたよ。夫と映画館にも行きましたし、DVDも買って、何度も観ています。

でも、ごめんなさいね。わたし、ガンダルフじゃなくって、ボロミアファンなんです!

じゃあ、いったい、何がそんなわたしをここまで駆り立てたのか?

 

その理由は、ベルとエマの共通点にあり!

その理由は、たった一つだけ。

ズバリ、わたしのギフテッドアンテナにビンビン引っ掛かるものがあった、ということです。

そう、それが、「美女と野獣」のヒロイン、ベルであり、今回、実写版で、そのベルを演じるエマ・ワトソン本人であり。

さらさ
えぇーーーーーっ!

そうなんですよ。わたしから見ると、ベルも、ベルを演じるエマ・ワトソンも、かなりの確立でギフテッドなんじゃないか、と思える節があるわけです。

更紗
ギフテッドとは、一言で言うならば、高機能な脳の特質を備えて生まれてきた人間のことを指します。

元々、脳内に十分な数と高密度の神経連路を持っているせいか、脳が様々な情報を処理していく方法やスピード、また記憶保存していく量が常人のものとは大きく異なっています。そのため、彼らの感覚、視点、思考、言動、学習能力、そして、性格に至るまでが、大方の人間とは一線を画するものになっているんです。

ギフテッドは、この脳の特異性ゆえに、ダイヤモンドのカットにも似た、ギフテッドならではの多面的特徴を持ちますが、中でも際立って注目されるのが、その知能の高さ/IQの高さでしょう。それ以外にも、繊細さや傷つき易さ、激しさ、拘り、融通の利かなさなど、様々な面が存在します。

脳内キャラさら評論家
な、なるほど。ベルとエマには、そんな共通点が隠されているかもしれないと?
さらさ
その通り!

 

だからこそ、重い腰を上げてでも出掛けるんじゃないですか。

正直、娘が生まれる前の、フットワークが軽くて済んでいたときなら、いざ知らず。

さすがに、ギフテッドの娘に手こずらされている今の状況ではね、それくらいのインパクトが無ければ、ディズニーでなくとも、なかなか映画館なんかに足を運べないですよ。

 

「美女と野獣」の原作

この「美女と野獣」ですが、原作は、1740年のフランス、ヴィルヌーヴ夫人まで遡ります。

その後、1756年に同じくフランス貴族のボーモン夫人が子供向けに書き直した童話短縮版が、後に多く生まれた「美女と野獣」作品の基盤となっているようです。

今は、1991年の大ヒット作、ディズニーのアニメ版「美女と野獣」が有名ですが、この作品も、ボーモン夫人の童話版を土台にしているとのことで、軽い驚きを覚えますよね。

だって、1740年、1756年と言ったら、あのフランス革命前のお話なんですよ。マリー・アントワネットが生まれたのが、1755年。モーツァルトが生まれたのが、1756年です。

この時代考証、お分かり頂けますか?

つまり、あの華やかなロココ様式の時代、外見の美よりも、内面の美を殊更に強調したメッセージが発信されているわけです。

それはそれで、素晴らしいものがあるというか....。

しかも、こうした歴史上の人物が子供の頃に読んだかもしれない作品なわけなんですよね。原作はフランス語ですけど、当時、ドイツ語に翻訳されていることも十分考えられようか、と。

ちなみに、音楽家絡みで言えば、ハイドンが生まれたのが1732年。ベートーベンが1770年です。

ヨーロッパから大西洋を挟んだ新大陸で言うと、アメリカ独立戦争の勃発が1775年、アメリカ独立宣言が1776年。

日本史では、ドラマ、「暴れん坊将軍」で名高い第8代将軍、徳川吉宗が没したのが1751年。その吉宗の孫、家治が第10第将軍になったのが1760年。そして、杉田玄白らの「解体新書」が1774年です。

その後、時を超え、時代を超えて愛され、現代では、映画、アニメ、劇場、ミュージカル等、様々なスタイルにアレンジされているわけですが、やはり、この「時間の試練」に耐え得た作品と言うのは、強いですね。

普遍的なメッセージがそこに隠されているわけで、人間が追い求める真の価値は全くもって変わっていないということを証明してくれています。

中でも、ディズニー版アニメは、ミュージカル仕立てならではの珠玉の音楽と共に相乗効果をもらたらしていて、見ている側の感情に迫ってくるものがあるわけです。

 

ディズニーの功績

ディズニー版が踏襲しているという、ボーモン夫人の童話を読んでみますとね、ベルが心優しく、聡明なヒロインであることは分かるんですよね。

他にも、責任感が強いとか、思慮深いとかが、彼女を形容する言葉になるだろうと思います。

でも、そのベルが果たしてギフテッドかどうかというと、残念ながら、確信に至らせてくれる決定打が無いんです。読書が好きで、物事や人間の本質を見抜く目を持っていることは確かなんでしょうけれど。

ボーモン夫人版のベルには、ギフテッドならではの激しさとか、我の強さとか、極端な性質だとか、そういう二面性が一切見当たらないんですよ。

いわゆる、月の裏側のグロさが一切無い。美しい表側だけしか描かれていないんです。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル ギフテッド 月の表 美女と野獣 ベル エマ 特徴

月の表側は、いつだって幻想的で美しい....

そうなると、「ギフテッド(IQ130以上)」なのではなく、標準レベル(IQ90~109)よりも遥かに優れた知能を持つ「優秀(IQ120~129)」レベルなのかな、と思えます。

その辺りの、ベルの聡明ながらも、まだまだ、ぼやーんとした人格、人間像の輪郭をくっきり、はっきり際立たせることに成功したのが、1991年のディズニー版なんでしょう。

そこはもう、アメリカのエンターテイメントですからね、そこはかとなく漂わせるとか、さり気なく匂わせるとか、そういうのとは全くもって無縁ですよ!

もう、いっきに白黒付けて、善と悪との戦いにしちゃおう、っていうのが、いかにもアメリカ人的発想ですね。

よく言えば、ストーリーが明快でカタルシスがある。悪く言えば、単純。

だからこそ、ベルの家族構成にしろ、その性質にしろ、性格にしろ、最も重要だと思われるポイントに焦点を絞り、斬新なアレンジを施しているわけです。

父親の職業を商人から発明家に変え、ベルの兄姉をばっさりと切り捨て、ガストンなる悪役を出してくるのが、それです。

全ては、あのクライマックスに向けて、ストーリーをドラマチックに展開させるため。途中で、登場人物を少々エキセントリックに描いているのも、善と悪のコントラストを際立たせ、観客に最大限の共感を求める意味で重要なんですね。

何と、その一見過剰な調理法のおかげでですね、ベルの中に宿るギフテッドならではの特徴というものが、こう、色鮮やかにぱーっと浮かび上がってきてくれたわけです。

そう、童話版ベルとは異なり、聡明だとか、知的な女性だとかの一言では片付け切れない、何とも言えない奥行きが生まれているんですよ、ディズニー版のベルには。

さらさ
み、見えるわ!月の裏側よ!

 

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 美女と野獣 ギフテッド ディズニー

月の裏側に潜むものは....

クレーター、もとい、その奥行きを作り出している要素を一つ一つ細かに分析すると、ベルは間違いなくギフテッドなんじゃないか、とわたしのアンテナにビシバシ引っ掛かってくれるものがあった、と!

さらさ
ありがとう、ディズニー! ありがとう、アメリカ!!

 

脳内キャラさら評論家
あのー、すみません、何か、最初のコメントとは、えらい違いが....。
さらさ
いいの、いいの。最初に持ち上げて、後でズドンと落とすよりも、よっぽどマシでしょ?

 

ギフテッドであること

一概にギフテッドと言っても、一人一人が個性を持つ人間である以上、一人として同じギフテッドというものは存在しません。

とは言え、ギフテッドの人間に大方共通する特徴と呼ぶべきものが存在していることも事実です。

ギフテッドの分野で名高い心理学者、Dr.シルバーマンの場合、1973年の時点で、ギフテッドに共通して見られる特徴として16項目を挙げていました。

が、その後の30年以上に及ぶリサーチや臨床結果を基に、現在では、最初の16項目を25項目にまで拡張させています。

ここではその全てを挙げることをしませんが、今回は具体例を伴った上で、ベルやエマに見られる、ギフテッドならではの特徴にスポットライトを当ててみようと思います。

 

ギフテッドの特徴:ベルの場合

ディズニー版のベルを追っていきますと、「心優しく、聡明な女性」の型に、綺麗にはまり切らないキャラクターであることがよく分かります。

もうね、どう考えたって、ギフテッドでしょう、あなた、ってなレベルです!

その観点から検証していくと、見事にストーリーの出だしから、まるで、ヘンゼルとグレーテルが森の中で落としていくパンくずのように、ヒントがごろごろ転がっているんですよ。

わたしなんて、嬉しくて、それこそ小鳥やウサギになったつもりで、パンくず、もとい、ヒントをそそくさと拾いまくってます!

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 美女と野獣 ディズニー ベル 映画 ギフテッド

小鳥のように、ウサギのように、ヒントを拾う!

時には、勢い余って、シカやイノシシになることも。

もう、ホント、美味しすぎ!

 

ベルは、周りと相容れない....

まずは、ストーリーのオープニング曲ですぐに判明することですが、村人たちのベル評は、「変わっている」です。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 美女と野獣 ベル エマ・ワトソン

村での暮らしは

何でも、その時代のフランスでは、識字率が非常に低かったんですね。一部の資料によれば、フランス革命の年代でようやく、男性50%以下、女性25%前後という識字率なんだそう。

「美女と野獣」の舞台となっている年代は、フランス革命のほぼ半世紀前です。となると、一部の特権階級や富裕層を除き、つまりは、ほとんどの庶民が文盲だったことが伺えます。

そんな中、庶民の女性が本を読み、空想にふけり、もっと広い世界があるんじゃないか、この村内に留まらない、もっと大きな世界があるはず、と自分の人生の意義について考えることは、それは、もう、「風変わり」、「おかしい」以外の何者でも無いわけです。

ベル自身も、自分が村の文化や価値観に溶け込めないことを知っていて、生き辛さを感じているんですね。基本、誰とも話が合わず、一抹の孤独感を抱いている。

毎日、必死で自分の内世界や価値観を肯定してくれる誰か、何かを探しているんですね。

ここが、非常にギフテッドの特徴と被るんです。Highly Giftedにもなれば、98パーセンタイル以上ですから、相当なマイノリティーな存在となるわけなんですね。

これが、Exceptionally Gifted、Profoundly Giftedと、ギフテッドレベルが進んでいけば行くほど、圧倒的、いや、究極のマイノリティーになってしまうわけです。

大多数の人間とは話が合わず、どこか浮いた存在になってしまう。やがては、自分の持つ内なる世界、価値観、探究心を誰とも共有できずに、孤独感にさいなまれる。

その代わり、もしも、自分の価値を理解し、評価してくれる、数少ないギフテッドの友人や年上の良き理解者や擁護者と出会うことが出来たのならば、そこで真の意味での友情を育むことができる。

その友情の中で、大きなインスピレーションと刺激を与え合い、互いに成長していくことができる、それがギフテッドが往々にして辿る道でもあるわけです。

 

ベルは、読書好き!

ギフテッドの大きな特徴の一つとして、読書好きであること、好んで貪るように読むことが挙げられます。これは、言葉への強い関心や探究心とも繋がるのかもしれません。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 読書 ギフテッド 美女と野獣 ベル エマ・ワトソン

本の中の世界を楽しむ

ギフテッドの子供は、まだ幼い内から本を好み、自分で読めない場合には、親に読み聞かせをしてもらうことをねだります。大抵は、お気に入りのお話があって、同じ本、同じストーリーを何度か読んでもらい、その内に暗記してしまったりもします。

ディズニー版「美女と野獣」のベルもそうですね。彼女が貪るように読書する様子を、本屋のご主人との会話や、歩きながらも本を読むシーンで表現しています。

過去2度も読んだ、お気に入りの本を再び借りることにしたときには、ご主人から「そんなに気に入ってるんだったら、その本をあげるよ」とプレゼントまでしてもらっています。

野獣の住まう城でも、二人が心を通わせてから、野獣がベルに最高に特別なプレゼントをしたいと思いついたのは、何百、何千もの本が所狭しと並べられた図書室でした。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 読書 ギフテッド 美女と野獣 ベル エマ・ワトソン 図書室 ライブラリー 書斎

野獣から贈られたものは

 

ベルは、想像力豊か!

ギフテッドは、非常に想像力に富んでいます。幼いときには、しばしば、想像上の遊び相手というものが存在していて、その遊び相手に話しかけたり、その遊び相手と一緒に時間を過ごしたりすることを好みます。

また、このビビッドな想像の翼を使って、一見、複雑に絡み合ったように思える問題をも、段階を飛び越えて解決策を見つけてしまうのも、ギフテッドの特徴です。

ベルの場合は、読書好きなのと重複しますが、彼女が読んでいるのは、挿絵があまり無いタイプの本でした。そのことをガストンに揶揄されても、想像力を使って楽しめる人間がいるんだ、と答えています。

 

ベルは、目上の存在を恐れない

野獣の城に入ってからのベルは、最初こそ、野獣の醜い姿と地鳴る声とに驚き戦くもおの、その後は自分のペースを保っています。

野獣と夕食を共にするよう言い渡されても、自分が嫌ならば、はっきりと嫌だと言い、それを貫きます。野獣本人も、ベルのことを「やっかい」だと評するほどに。

ギフテッドへの対応の難しさは、彼らが目上の存在や権威を恐れずに、自分の信念に照らし合わせて疑問に思ったこと、間違っていると思ったことを毅然と口にする、というところにもあります。

処世術の一つ、適当にやり過ごす、ということが出来ないのです。

ギフテッドあるところに、力の葛藤がある、のは本当です。

身近なところでは、親子間。学校では、担任や教師、また学校ルールに対して。その後、社会の常識に対しても、疑念を向けるようになります。

ただの反抗というのとは異なるのでしょう。彼らにしてみれば、あくまで、こうあるべきだ、という自己の信念や理想に一貫して基づいているわけで、それとは相容れない事柄を指摘せずにはいられないのです。

 

ベルの我の強さ

意思が強いと言い換えることが出来るかもしれません。

ベルの場合は、度を越す好奇心の持ち主とも言えます。野獣から、「西の塔」には足を踏み入れるな、と命令されているのにも関わらず、ふらふらと出掛けていきます。

普通、行くな、覗くな、と言われれば、「そこに行ってはいけない、見てはいけない」、「でも行きたい、見たい」、といった感情の葛藤が生まれます。

開かずの間を開けたい、見てはいけないものを見たい、という好奇心が主人公を導く先は、確かに物語としては面白いんです。事実、そういう童話や小説は山ほどあって。

でも、主人公は、いずれも、感情の葛藤を経験しているんですよね。

有名どころでは、「鶴の恩返し」とか。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 鶴の恩返し 開かずの間 美女と野獣 ベル エマ・ワトソン

日本の民話でも

脳内キャラさら評論家
い、いきなり、飛びますね?!

でも、ベルの場合には、なぜか、そこにジレンマが一切無いんですよ。そこが、他の物語とは大きく違うんです。

つまり、彼女の度を越す好奇心が完全にその心を支配してしまっていて、「行くな」と言われていたことすらも記憶から抜け落ちてしまっているんです。

これは、ギフテッドにはよくある特徴ですね。

「だから、言っておいたでしょう!」と言いたくなる、「DO NOT/~するな!」の命令が都合良く記憶から抜け落ちるんです。

そうなる条件とは、彼らが何か自分の好奇心を煽ってくれるものを見つけてしまったときなんですけどね。

それが些細なことであれ、大きなことであれ、もう、頭の中がその好奇心一色に塗り替えられてしまうんですよ。それ以外のものは、その瞬間、完全にセピア色と化し、やがては消えて無くなります。

 

ベルが見せた過剰な反応

西の塔に出向いて、案の定、野獣に見つかり、これ以上ないほどの怒声を浴びせられて、パニックに陥るベル。

普通、あの状況で、城から逃げていくものでしょうか?

わたしにしてみれば、ベルのその後の行動は過剰反応にしか思えないんですよね。

自分は父親の身代わりで城に留まることを約束した身。しかも、夜なんですけど? うっそうとした森の中を一人駈けていく? それこそ、狼やら、コヨーテやら、熊やら、そういう獣が出てくるとは思わないんでしょうか? そちらへの恐怖心は、ゼロですか?

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 美女と野獣 ベル エマ・ワトソン OE

城の外には森が広がって

いや、わたしだったら、城に留まりますね。自分の部屋に鍵掛けて、縮こまって泣いているだろう、と思います。それか、城のどこかに身を隠しているか。

あの状況で、城から飛び出すのは、考え無しの過剰反応以外の何物でもないと思うんです。

ギフテッドの分野では、OEという言葉がよく聞かれます。これは、Overexcitability/Overexcitabilitiesの略で、日本語では「過度激動」と訳されているようです。

今ひとつ分かりにくいフレーズですが、これって、つまりは、内外からの刺激に対して過敏、過剰な反応を起こすことです。

元々が非常に繊細な作りをしているギフテッドですから、ありとあらゆるものが刺激になり得るわけですが、それらの刺激の元を5種類にカテゴリー分けして、ギフテッドとOEの密接な関係の概念を広めたのが、ポーランドの心理学者、ドンブロフスキです。

ギフテッドの不可解とも思われる言動に光を点す上で、非常に大きな役割を担ってくれることになったOE概念。

ちなみに、5種類のOEの概略は以下の通りです。

  • 精神運動性OE:過度に行動的でエネルギッシュ。脳への刺激過多で、眠れなくなることもある。何事にも能動的で、ADHDに間違われやすい。
  • 知覚性OE:五感に訴えるものに激しく反応する。音楽や絵画を深く体験する一方で、匂いや音にも敏感。洋服の内タグや靴下の縫い目すらも嫌がることがある。
  • 想像性OE:想像の翼を持ち、ちょっとしたことに対しても、いわゆる、シェークスピアやホメロス劇場を展開する。傍からは、大げさで芝居がかっているようにも見える。白昼夢を楽しむ。
  • 知性OE:知識を得ることが最重要となる。自分の関心ごとについて、延々と問い続け、答えを見つけようとする。度を越した集中力を持つ。自分の中で理論的思考を展開する。
  • 感情性OE:ありとあらゆる感情が過度に表現される。非常に繊細で傷つきやすく、心配性で怖がり。癇癪をも引き起こす。

夜、後先考えずに城を飛び出したベルに見られるのは、感情性OEですね。

感情の振れ幅が大きく、喜怒哀楽一つを取っても、「より激しく、その感情が外に提示される」、「よりドラマチックな反応を引き起こす」ということに繋がります。

別の資料によれば、必ずしも、全てのギフテッドがOEを持っているわけではないようですが、ギフテッドレベルが上がれば上がるほど、OEを一つ以上を持っている率は格段に高まるようです。

同じものを見聞きし、同じものに触れ、同じ事象を学んでも、ギフテッドの人間は全く別の世界を体験し、より激しい反応を示す。

そこが標準枠内の人間にとっては、大きな驚きと困惑の原因になってしまうわけです。

 

ベルは、言い争う!

これは、目上の存在をも恐れずに、何かと口応えをする、ということにも繋がります。

論争好きとも言えますが、自分の信念、信条を相手に理解してもらいたい、自分の言い分にこそ筋が通っている、ということを証明したい、という願望が強いんですね。

夜、城から飛び出して、危機一髪のところを野獣に救われるベルは、傷の手当てをしてあげながらも、野獣とそのことで激しい応酬を繰り広げます。

どちらに分があるのか。

基本、ギフテッドは弁が立ちます。元々の頭の回転の速さや記憶力の良さを武器に、ありとあらゆる理論で、論理武装しますからね。

自分が悪くないと思えば、徹底的に負けず嫌いぶりを見せ、論争に始終するんですよ。

ここでも、やっぱりと言うか、ベルが勝利していますよね。

でも、最後に、「わたしを救ってくれて、ありがとう」と付け加えることができたのは、ただの負けず嫌いで終らず、ヒロインとしては好ましい資質だと思います。

 

ベルは、本質を見極める

ギフテッドは、元々が繊細であり、敏感です。

標準の人間が一つ一つのステップを順に踏んで結論まで辿り着くべき工程を、ギフテッドの場合、途中、何段かを飛び越したり、型にはまったのとは全く異なる方法で結論まで一飛びしてしまうことが、しばしばあります。

誰もが、その外見や功績に夢中にさせられるガストンを最初から鼻にも掛けないベルは、直感でガストンの人間としての軽薄さを感じ取っているんでしょう。

ディズニー版では、絵柄もあって、「思い込みの激しい、筋肉むきむきの単純バカ」な印象のガストンですが、現代に置き換えると、アメフトのスター選手みたいなイメージだろうと思います。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 読書 ギフテッド 美女と野獣 ベル エマ・ワトソン ガストン アメフト

現代では、こんな感じかも

もちろん、ヘルメット下には、女性を魅了する外見が覗き.....。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 美女と野獣 ベル ガストン エマ・ワトソン ディズニー

現代版ガストン:アメフトのヘルメット下

何かとガストンにまとわり付いている3人の女性たちは、さしずめ、チアガールみたいな存在かな?

アメリカ社会においては、学生であれ、プロであれ、アメフトのスター選手なんて、それはもう、大モテな存在なわけですよ。付き合う相手は、学園一の美女だったり、チアリーダーだったり、モデルの彼女だったり。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 読書 ギフテッド 美女と野獣 ベル エマ・ワトソン ガストン チアリーダー アメフト

スポーツ選手に華を副える存在のチアリーダー

そんなアメフト選手のイメージを無理やりにでもガストンに重ねてみると、あら、不思議。ぽうっと浮かび上がってくるものがありますね。

そこで、きゃあきゃあと騒がないベルの目線は、ガストンのもたらす見た目の華やかさ、世間の評判、安定した生活の保障を通り越して、その先に全く別のものを捉えているんです。

 

ベルの父親の職業

ギフテッドは生まれつきである以上、その脳の形質・形状に、親から受け継いでいる遺伝的な要素が存在する、ということになります。

Dr.ウェッブ、Dr.シルバーマン、Dr.ルフ、Dr.パルマーはじめ、現在、ギフテッドの分野で著名な心理学者たちが口を揃えて主張しているのは、ギフテッドの親は、大抵、ギフテッドであるという事実です。

少なくとも、標準レベルの親からは、ギフテッドの子供は生まれないのだとか。

そこで、忘れていけないのが、ベルの父親、モリースが発明家という点です。つまり、モリースは発明家ならではの独創的な考えを持ち、言わば、理工科学に秀でているはずだ、と推測できるわけです。

ならば、ベルが父親の独創性や頭の良さを受け継いでいたとしても、何ら不思議はない、ということになります。

 

ギフテッドの特徴:エマの場合

ディズニー実写版「美女と野獣」のヒロイン、ベルを演じるエマ・ワトソンも、ベルに負けず劣らず、彼女のインタビュー記事などでギフテッドならではの特徴を垣間見せてくれていますよ。

もう、読めば読むほど、エマ・ワトソンがギフテッドであるに違いないことを確信させてくれます。

彼女、最初は、同じディズニー実写版でも、2015年公開の「シンデレラ」の主役をオファーされていたらしいんですね。結局は、断っているんですけどね、その理由が面白いんですよ。

「シンデレラ役にもっと何かが、もっと刺激をくれるような部分が欲しかったから」なのだそう。

つまり、エマは、シンデレラの人物像にどこか物足りなさを感じた、と答えているわけですね。

この感想は、丁度、ギフテッドの子供たちが一般の学校で、「つまらない」、「退屈」、「やる気が起こらない」と感じることと、よく似ています。

ギフテッドの子供たちがそう感じる理由は、ただ一つ。彼らの持つギフテッド脳への「刺激が無い」からです。

やっていることが簡単すぎたり、単調すぎたり、ペースがゆっくり過ぎたり、創造性に欠けすぎたりと、原因は様々でしょうけれど。

一般の教育現場では、その元々の理解力の速さゆえに、ギフテッドはどうしても放置されてしまわれ易い存在です。

でも、ギフテッド本人にとっては、脳への十分な「刺激」がもたらされないということは、言わば、死活問題なんです。

彼らには、学校での授業がただの時間の浪費にしか感じられなくなり、やがて、授業を受ける意義を失い、教師の指示に注意を向けることすら止めてしまいます。

これを避けるために、親や学校が成すべきことは、何学年かスキップさせる、上級者クラスに入れる、ギフテッドプログラムに入れる、ギフテッドスクールに通わせる、ホームスクーリングを施す、のいずれかになるでしょう。

ギフテッドには、ギフテッドならではの知的好奇心のニーズがあり、そのニーズを十分に満たしてくれる刺激が、彼らの生活には必要不可欠なんです。

偶然にも、エマが使った「刺激」という言葉。ギフテッド分野では、しばしば、重要な鍵になるフレーズです。

思うに、女優としてのエマが欲した刺激とは、彼女のギフテッド脳に興味、関心をもたらしてくれるに十分なヒロイン像であり、その知性にインスピレーションを与え、彼女ならではの解釈を許してくれる、ヒロインの内外における成長過程なのだろう、と。

わたし自身、数いるディズニープリンセスの中で、誰がギフテッドの可能性を秘めているだろうかと考えたときに、真っ先に頭に浮かんだのは、「美女と野獣」のベルでした。

美しい資質とストーリーとを併せ持つシンデレラですが、彼女がわたしのギフテッドアンテナに引っ掛かてくれることは、最後までありませんでした。

もしも、エマ・ワトソンがギフテッドである、というわたしの限りなく確信に近い推測が当たっているのならば、彼女は直感的に感じ取ったのではないでしょうか。

自分とシンデレラは、根本からして違う、と。

その代わり、後にベル役をオファーされたときには、シンデレラよりもベルにより強く共感できると感じた、と答えているんですね。

わたしにとって『美女と野獣』は完璧な作品で、この作品に参加できたことがこれ以上ないというくらいに楽しかった。

Elle UKより、日本語訳:更紗

彼女から見たベルは、どんな状況にあっても、好奇心旺盛で、その心は自由で独り立ちをしている、そんなところにも惹かれたのだ、と。

まさに、「類は友を呼ぶ」ということなのでしょう。

好奇心旺盛、心が自由、独り立ちをしている、これらのフレーズはいずれも、しばしば、ギフテッドの特徴と結び付けられている言葉ばかりです。

わたしに言わせれば、ギフテッドのエマがギフテッドのベルに共感する、ベルの言動に垣間見られるギフテッドの特徴の数々に自分自身の特徴とアイデンティティーを見出す、これは極々自然の流れのように感じられます。

 

エマは、読書好き!

エマ・ワトソンのデビュー作、出世作は、言わずとしれた、「ハリー・ポッター」のハーマイオニー・グレンジャー役です。

そのハーマイオニーも頭脳明晰で成績優秀なキャラクターとして描かれていましたね。

エマは、ハーマイオニーとベルの共通点について、

二人とも本が好き、学ぶことが好き、そして自分の周囲の世界に対して好奇心に満ちていることが共通しているわ。

Elle UKより

と語っていますが、実は、エマ本人も全く同じなんですね。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 読書 ギフテッド 美女と野獣 ベル エマ・ワトソン 読書 本

エマ・ワトソンも大の読書好き

「美女と野獣」のLAプレミアムで、共演者の一人、ジョシュ・ギャッドが撮影現場で、エマに色々な本を紹介してもらった、というエピソードを語っています。自分がこんなにも本を読んでいないのかと、逆に恥ずかしい気持ちになった、と告白しているんです。

そして、最近、フェミニスト、ベル・フックスとの対談の中で、女性の権利を目的とした国連での活動と読書のために女優業を一年間休業することを明らかにしたエマ。

自己成長を何よりも、その目標としているようです。

あなた(ベル・フックス)が1日1冊の本を読むことは知っているわ。私の目標は、1週間に1冊。読書クラブでも、1か月に1冊の本を読むことね。膨大な量の読書と自主勉強をしているの。

1年かけてジェンダー研究を本気で学ぼうかとも思ったんだけど、地に足を付けて人々と話しをして、本を読むということだけでも多くのことを学んでいるって気づいたの。

シネマトゥデイより

このコメントは、彼女がいかに読書好きであるのか、いかに飽くなき探究心を持っているのかをよく表してくれているのでは、と思います。

 

エマは、学ぶことが好き!

これは、今に始まったことではなく、エマ・ワトソンの人生そのものだと言えます。その辺りがブレていないんです。

彼女は、ハリー・ポッターのハーマイオニー役の成功で、富と名声を得た後も、学ぶことを止めていないんですね。

過去の話に遡りますが、その撮影現場でも勉強を続け、最終的にイギリスのGCSE(義務教育終了証)で優秀な成績を収めているんです。

「ハリー・ポッター」の共演者であった、ダニエル・ラドクリフが、当時のインタビューでそのことについて触れています。

エマはとっても頭がいいんだ。彼女のGCSE(英国の義務教育修了証で、彼女は06年に合格)の結果を知ってるかい? 僕はB7つ、A2つ、Aプラス1つで大喜びだったけど、エマはA3つ、Aプラス7つだ。彼女は信じられないほどの勉強家だ。僕やルパート(・グリント)は勉強をやめたけど、彼女はブラウン大学に行く。

映画.comより

大学進学を強く望み、イギリスではケンブリッジ大学、アメリカではアイビーリーグのイェール大学、ブラウン大学に合格したエマ。いずれも、名門中の名門と来ています。

もちろん、名門とは言え、いや、名門だからこそかな? 縁故入学というものも存在するのがアメリカの大学。教育機関と言えども、ビジネス要素もしっかり入っているんです。

リサーチや研究をするのにも、施設を充実させるのにも、また、優秀な教授を集めるのにも、莫大な資金が必要になりますからね、その資金調達の手段として、例えば、各国の企業派遣の人間を大学院に受け入れている事実もあったり....。

企業としては、寄付金を渡してでも、有名大学の高学位をもつ社員が欲しいわけで、そこは両者の利益の一致を見ているということなんですが。

ただ、彼女の場合には、そういう大学のビジネス的側面からではなく、純粋に成績優秀で合格したんじゃないでしょうか。

最終的には、ブラウン大学に入学したエマ。途中、仕事の関係もあって、1年ほど休学しているものの、その間も、オックスフォード大学で単位をとり続けていたようで、学ぶことを決して止めようとはしないんです。

彼女の専攻は英文学でしたが、アメリカの大学で文学部学生が読ませられ、書かせられる量は、それはもう半端ではないです!←きっぱり。

クラスでもディスカッションに積極的に参加することを要求されますし、当然、一人一人、テーマを与えられてのプレゼンテーションもあるでしょう。

そんな、誰にとっても大変なアメリカの大学生活で、ここまでエマがモチベーションを保ち得たのは、女優としての、ただの箔付けが理由だったのではないはず。逆に、そんなものでは、アイビーリーグの学生生活は持たないでしょう。

じゃあ、いったい何が彼女を支えたのか? 何がそこまで彼女を駆り立てたのか?

それは、もう、彼女自身の内側からふつふつと湧き出す、学ぶことへの渇望。追求することへの情熱。そして、探し求めていた答えをようやく見つけ出すことへの喜び。

それ以外には考えられません。

ギフテッドの人間にとって、何かを学ぶこと、中でも自分の興味ある事柄をとことん探求していくことこそがモチベーションの原点であり、真髄なわけで、それに敵うものは彼らの心に存在しないのだと断言できます。

 

エマは、完璧主義!

エマ自身が認めているんですね、自分が完璧主義者であること。だから、周りをあれこれと仕切りたがる生意気な部分が出てきてしまうと。

完璧主義であること、一見、生意気に見えること、これもまた、ギフテッドならではの特徴です。

つまり、理想が限りなく高いんですよ。

物事は、こうあるべきという理想がまずそこにあり、それを成し遂げるべく、自分に課す目標設定が非常に高いがために、それを実現できない現実とのギャップに苦しむわけです。

なぜ出来ないのか、なぜ成し遂げられないのか、そんな負のスパイラルにはまったりもします。

ギフテッドの子供の場合には、これが元で癇癪を起こしたり、大声で泣いたりもします。自分自身に課した目標を実現できない自分が許せない、どうやっても生まれてしまう理想と現実にギャップの存在が憎いのです。

だからこそ、自分が実現できないだろうことには、最初から試すことすらしない、ということも、ギフテッドの人間にはよくあることのようです。

25歳過ぎのエマの場合、それなりに自己をコントロールする術を学んでいるでしょうからね。例え、理想と現実との間にギャップが生まれようと、さすがに人前で癇癪を起こしたり、大泣きをしたりというエピソードは聞こえてきませんが、彼女自身がこう告白しています。

私は常にベターな状況を目指したい。でも時々イライラすることもあるわ。私には強迫性障害の傾向があるのか、全てがパーフェクトでなければ気が済まないの。

仕事をしていても誰よりも辛辣な批評をするのは私自身だし、しかもそれによってさらに頑張っちゃうから、なんて私って大変なんだろうと自分でも呆れているのよ。

TechinsightJapanより

エマ本人は、この強迫性障害の他にも、詐欺師症候群の可能性について触れていますが、わたし自身は彼女が経験している心理状態は、ギフテッドならではの極度の完璧主義に由来するものだろうと分析しています。

こうした過度の完璧主義に対して、世間では、生き辛く、ストレスが溜まるだけだから、完璧主義をやめようとか、完璧主義を捨てよう、なんていう意見も聞きます。

でも、殊、ギフテッドに関して言うならば、完璧主義でなくなるのは、所詮、無理な話です。

ギフテッドが完璧主義であることは、ギフテッド脳の一部であり、ギフテッドがギフテッドであるがゆえの大きな特徴の一つでもあるからです。

彼らに出来ることは、完璧主義であっても、そのグラデーションを淡い色にすること。つまり、同じ完璧主義カテゴリーの中にあっても、その度合いを若干和らげるよう、時間を掛けて自己訓練することでしょう。

もちろん、なぜそうした方がいいのか、なぜそうするとより良い結果を生むのか等を、自分自身に「理論的」に筋道立てて説明してあげるというプロセスを踏んでの上なのですが....。

 

エマの人間関係は

エマ・ワトソンの最近の恋人は、いずれもルックスが良く、オックスフォード大学院生などの高学歴な男性なのだとか。そのことで、ときに彼女を揶揄する声も聞こえてきたりします。

外見については、本人の好みや美的感覚もあるでしょうから、わたしとしては、そこはひとまず置いておくとして、高学歴という要素は、当然と言えば当然だろうと思わさせられます。

誰にとっても、話が合うかどうかということが、親密な人間関係を築いていく上で重要な鍵になるわけですから、IQがあまりに違いすぎては互いに理解し合うことも、共感することも出来なくなってしまうはず。

Dr.ルフの記述に興味深い情報があったのですけどね、一般的に、ソールメイトと言うべき、本当に気持ちの通じ合う友人関係では、互いのIQ差が平均で12ポイント以内なのだそうです。

結婚相手も同様で、普通、夫婦のIQ差は平均12ポイント以内。それ以上の違いが出ると、互いが互いのジョークを解せなくなってしまうのだとか。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル IQ ソールメイト 美女と野獣 ベル エマ

笑い合える関係

ということは、誰にとっても、夫婦であれ、恋人であれ、親友であれ、深いところで心が通い合い、互いを信頼し、互いの機知や冗談を無理なく笑い合えるためには、二人のIQ差が12ポイント以内であるということになりますよね。

ただ、Dr.ルフによれば、ギフテッドが築く親密な人間関係に限っては、両者のIQ差は12ポイントよりも狭まるのが常だそう。

ギフテッドの場合、すでに、標準IQ値(90~109)から大幅に上にズレたIQ値(130以上)であるため、ギフテッドのIQ値が1ポイントでも増していくほどに、互いの能力に歴然とした違いが生じてしまうからだとか。

昔の政略結婚やお見合い結婚ならば、いざ知らず、現代の恋愛結婚では、互いのIQが離れ過ぎていないことは、関係構築において重要な要素になるのだと思います。

事実、エマ自身が答えているんですよ。頭の回転が速く、機知に富んでいて、内容ある会話が出来、しかも、抜群のユーモアの持ち主が理想の男性だって。

これ、まんま、ギフテッドの強みと言うべき、典型的な特徴ですよね。

ギフテッド同士ならば、相手の前で変に自分を抑えたり、隠したり、変えたりすることなく、自然なままでいることが許されて、楽に呼吸が出来、話も弾むでしょうからね。

その意味でも、エマが名門大学の学生とお付き合いをしてきた理由が分かろうというものです。

 

エマの両親の職業

エマの両親は、どちらも弁護士なのだそう。

弁護士資格を得るのには、国によって違いがありますが、それなりに険しい道であることは万国共通しているのではないでしょうか。

イギリスでは、司法試験は存在しないようですが、法学部を卒業し、その後、何年かのインターンシップをこなす必要があるらしいですね。法学部に進むこと自体が大変なことらしく、相当、優秀でなければならないとのこと。

尚、イギリス系フランス人のエマの母親が暮らすフランスでは、大学卒業後に、資格試験、該当州の弁護士修習所の試験を受けて入所し、そこで18ヶ月の修習期間を経た上で、修習試験に合格する必要があるのだとか。

こうした弁護士の両親の元に生まれたエマは、生まれつき、知能面でも優れていただろうことが容易に想像できます。

 

ベルとエマ、二人の女性

さて、この「美女と野獣」でメガホンを握るのが、「シカゴ」の脚本でも名高いビル・コンドンです。

コンドン監督がインタビューで触れているのですが、彼のベルとエマに対する印象が非常に興味深いんですね。

ベルは、自分がプリンセスになるかどうかなんて、意にも介していない。彼女は、誰か、いい相手を見つけて結婚することよりも、広い世界を見、自分が何者であるかを見つけることの方に、よっぽど関心を抱いているんだ。

エマがどんなに聡明で、世知長けていて、洗練されているかは、誰もが知っている。それ自体は、ベルの現状を表すものではないけれど、ベルがいつかそうなりたいと願っている姿でもあるんだ。

エマがこの役に吹き込んでくれたのは、まさに、その生来の知性だよ。それこそが、実写映画を作っている際には、極めて重要な要素になるんだ。

mid-day.comより/日本語訳:更紗

そんなエマだからこそ、ベルを演じるに当たっては、彼女なりの拘りを持っていたようです。

彼女がベルという人物を創り上げる過程を垣間見てみると、興味深い事実が見つかります。エマならではの知力を総動員し、自分の中で丁寧に分析、消化する作業を行っているんです。

 

エマの考えるベルと野獣の関係

ベルと野獣の関係に対して、最初、ストックホルム症候群ではないかと気になったといいます。

ストックホルム症候群とは、実際に1973年、スウェーデン、ストックホルムであったことに準え、囚われた人間が極度のストレス下、隔離された空間で犯人と共に時間を過ごすことによって、犯人に対して奇妙な連帯感を見せ、後に過度の同情心と好意を示すようになる心理状態のことを指します。

エマは、ベルがそれに当てはまっていないか、念のため、一つ一つの事象を自分なりに分析していったわけですね。

ストックホルム症候群では、犯人/捕らえた側の許可無くして、何一つ自由にすることが出来ません。会話も、食事も、睡眠も、お手洗いに行くことすら。

つまり、基本的人権どころか、人間としての基本的欲求が、犯人の許可なしに満たされない状況下に、ある日突然、無理矢理に置かれるわけです。

その条件に照らし合わせてみると、ベルが父親を救うために自らの意志で城に留まることを決心したこと、野獣に媚びることは一切せずに、城の中では西の塔以外のことでは自由にさせてもらっていること、やがて、その西の塔にすら、自らの好奇心に導かれて足を踏み入れていること、野獣と本気の論争を繰り広げることなど....。

ベルはあくまで自分の価値観のままに、自由な精神でいることを許されているわけで、ストックホルム症候群でないことは明らかでしょう。

ただ、自分の演じるベルとじっくり向かい合った結果、ふと一つの懸念が生じ、今度は、その懸念を解消すべく、更に様々な観点からベルの人物像を観察し、分析し、検証した上で、自分の中で納得の行く結論を出し、それをベルに投影する。

この一連の消化プロセスが、エマ・ワトソンのギフテッドとしての思考プロセスを辿る上で、わたしとしては注目に値すると思うわけです。

 

自由の心にコルセットは無用

エマのこうした思考プロセスは、ベルがコルセットを使用するかどうかという点にも及んだようです。

例えば、「美女と野獣」の舞台となった18世紀半ばのフランスでは、女性は誰しもがコルセットを身に着けていました。

元々は、ウエストを細く、ヒップを豊かに見せるための補正下着だったコルセット。下世話な言い方をすれば、「ボン、キュッ、ボン」の魅力的シルエットを実現させるためのアイテムだったはずなのですが、自由な心、本質を追い求める心を持っていたベルには、必要の無いものと判断を下したと言います。

当時、コルセットを身に着けるということは、上半身をきつく締め付けるがため、内臓が圧迫され、呼吸が浅くなり、ちょっとしたことでも失神してしまう、という現実があったのだとか。

何と、女性が失神したとき専用の長椅子なるものも存在していたようで、コルセットがもたらす一連のドラマは、それこそ、恋愛の駆け引きにも、小説のネタにも使われていたようです。

実直とも言うべきベルと野獣の間には、恋の駆け引きというものは存在しません。

そこにあったのは、互いが互いの命の危機に瀕しての懸命な自己防御であり、自我と自我の本気のぶつかり合いであり、そのぶつかり合いの中で生じた、相手への理解であり、好意だったわけです。

それが、友情に変わり、やがては、自己犠牲を伴う本物の愛情へと発展していく。

その感情の流れを、「恋の駆け引き」や「不自然なまでのプロポーション矯正」のシンボルとでも言うべきコルセットを排除することで、一点の曇りもない状態で、純粋無垢に、美しく表現したかったのかな、と想像できます。

とは言え、その当時は、コルセットも、お化粧同様、身だしなみの一つとしての役割を担っていたのかもしれず、同じ女性として、コルセット無しでベルがどう胸を保護することにしたのかは気になるところです。

その時代、下着としての役割をしてくれるものが他にもあったのか、それとも、「ベルサイユのばら」のオスカルのように、さらし(のようなもの)を巻いたのか....。

さらさ
あ、これ、本当の話です。昔読んだ、「ベルばら大百科」なる本に載ってました。軍人としてのオスカルは、バストを保護し、尚且つ、目立たせないようにする目的で、さらしを少々きつめに巻いていた、という風に記憶しています。
脳内キャラさら評論家
そ、そんな細かい設定まで、よく覚えてますね....。
さらさ
あ、オスカルも、アントワネット同様、1755年生まれですよー。しかも、12月25日! ベルの時代背景と、かなり近いでしょ?

 

ここまで独自の思考を基に、よく練って拘ってくれたエマですから、その辺りの、あくまで時代背景に即した対処方法というものを映画公開後に観察してみたいな、と思ったりもするわたしです。

 

まとめ

どうでしょうか、ベルとエマの共通点があっと驚きのギフテッドであったという点に絞ってお送りしてきたわけですが、ギフテッドの具体的な特徴を知る上で参考になってくれれば、と思います。

ディズニー実写版映画、「シンデレラ」に続いての、久しぶりの大規模プロジェクトということで、映画公開を楽しみにしている方々も、さぞ多いことでしょう。

ギフテッドチャイルド・ジャーナル 美女と野獣 ディズニー 映画 ベル エマ

一輪の薔薇の花に込められた願いとは....

純粋に「美女と野獣」の物語を気に入っている方、久しぶりのラブストーリーを夫婦、恋人同士で待ちわびている方、ビジュアルの美しさに陶酔したい方、1991年のアニメ版との比較を心待ちにしている方、エマ・ワトソンやダン・スティーブンのファンの方など。

その楽しみ方は、人それぞれだと思います。

でも、その楽しみ方のもう一つの選択肢として、いえ、ぜひとも付け加えて頂きたいなと思う側面として、ヒロイン、ベルと、そのベルを演じるエマ・ワトソンが共通してギフテッドであろうという観点。

ギフテッドであることは、その人間の思考、言動、そして、性格にすら、深く関わってきます。

その意味で、エマのギフテッド視点を持って演じられた、ギフテッドのヒロイン、ベルには、無理のない一貫性が存在するはず。そして、この作品の創造過程の中で、両者の間に良い意味での化学反応が生じてくれているのではないかな、と期待感を込めているところです。

名作、「美女と野獣」の映画鑑賞というマジカルなひとときを過ごしながらも、ギフテッドの人間は、正直、面倒で疲れるし、扱いにてこずる部分があるけれど、それでも、不思議と魅力的で愛すべき存在である、という点が少しでも伝わってくれればいいな、少しでもギフテッドに対しての視野を広げてくれたらいいな、と願っています。

 

オータム
マミー、すごい! がんばった! パチ、パチ、パチー!
更紗
そ、そう?
オータム
うん、だって、この記事、マミーが今まで書いた中で一番長いよね? もう、20,000字を軽く超えてるけど、いいの?
更紗
いやー、いいの?って聞かれても....。そこはほら、歴史と児童文学専攻の人間ですし。でもって、ギフテッドの娘を図らずも授かってしまって、今では、自らギフテッド擁護者を名乗るくらいですからねえ、どうしても、力が入ってしまうんでしょうかね?

 

さらさ
愛の力、情熱の成せる業と呼んで。
脳内キャラさら評論家
はい、はい。

 

更紗
と言うわけで、映画「美女と野獣」、アメリカでの公開は3/17となっています。出来るだけ、初日に出掛けるぞー!の心意気でおりますよ。

そして、せっかくの映画鑑賞ですのでね、わたし自身も「ギフテッド」視点一辺倒ではなく、とっておきのラブストーリーだったり、美しいビジュアルだったり、華麗なイギリス英語だったりをね、堪能してこようかな、と思っているところです。

あくまで、お目当てはギフテッド視点のダイヤモンドなんですけど、でも、この「美女と野獣」という宝石箱の中には、ルビーあり、サファイアあり、トパーズありですからね、たくさんの光り輝く宝石を一つ一つ摘まんで、間近で眺められたら、と。

この宝石箱を開けることを今か今かと心待ちにする、わたしですとも!

 

 

-ギフテッド, ギフテッド一般, 映画レビュー

Copyright© ギフテッド チャイルド ジャーナル , 2020 All Rights Reserved.