誰しも、我が子には夢と希望を抱いているものでしょう。
人によっては、「理想の子供像」というものを持っている場合もあるかもしれません。
事実、わたしはそうでした。
心が優しくて、頭が良くて、面白くて。しかも、愛嬌があって、可愛らしくて。
親と夕食を囲みながら、文学や科学、芸術、それに政治に至るまで、知的な会話を存分に交わせる子が欲しいなあ、って思っていたんですよ。
いわゆる、世間で言うところの「頭がいい子」、「優秀な子」のタイプですね。
まさか、オータムのような子を授かるとは、夢にも思わず、「話が違う」と何度思ったことか!
専門家も、ギフテッドの親の葛藤については触れていますよ。
[我が子がギフテッドだと判明した]親には、自身の気持ちの整理を図る期間が必要になります。
我が子は、学校内で容易にニーズを満たしてもらえる「普通」の子供なのだという、親の理想が打ち砕かれたことを嘆くことになるからです。
《メックストロース (1991)、シルバーマン (2013)、日本語訳 by 更紗》
目次
ギフテッドの性質と特徴
何かと知能指数の高さだけにスポットライトが当たりがちのギフテッドですけど、「優秀な子」と「ギフテッド」って、根本からして異なります。
ギフテッドには、ギフテッドならではの特徴やニーズがあり、とにかく、「世間一般」の型にはめられない存在で。
それは、思うに、ギフテッドの人間の脳回路には、特異性があるからでしょうね。
ギフテッド研究で名高い心理学者、Dr.シルバーマンがはっきりと記しています。
ギフテッドの子供たちは、周りの子らとは、その思考が異なるだけでなく、感じ方すらも異なっているのです。
《シルバーマン(1993)、日本語訳 by 更紗》
実際、ギフテッドは新生児の頃から、情緒面にしろ、知性面にしろ、「普通」とは大きく異なります。
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え、ギフテッドチャイルドって赤ちゃんのときから育てにくい子なの?
ギフテッドであること、それは、わたしが理解するに、全く生まれつきのものです。 つまり、ギフテッドの人間には、赤ちゃんのときからすでにギフテッドならではの特質が備わっている ...
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ギフテッド赤ちゃんの特徴?それとも性格?思わず親が楽できたこと!
以前の記事では、オータムがギフテッドとして生まれてからというもの、大変だと感じたことばかりにスポットライトを当てました。 そう、育てにくいとか、何とか....。 今回はで ...
専門家の資料によれば、ギフテッド(のレベルにもよりますが)は、新生児の頃から知性面や情緒面では、標準の1.3倍のペースで成長を遂げる、と記されているんですよ。
そのくせ、身体の成長は標準内であるため、自分がしたいと思うことと、自分の身体が許容してくれる間には大きなギャップが生まれ、身体能力がその知性に追いついてくれる、ある一定の年齢までは、非常にアンバランスな精神状態で生きることを余儀なくされるわけです。
ギフテッドって、要するに、非定型発達なんですよ。
決して、障害という意味ではなく、あくまで、定型発達の枠を大きく飛び出してしまっているという意味においてですが。
その上で言ってしまいますけれど、ギフテッドとは、生まれたときから非常に高ニーズ・高メンテナンスな存在ですから、一緒にいる親は、疲れるし、面倒くさいし、不便きわまりないのが正直なところ。
一言で言い表すならば、「人生の全域において、とにかく激しい」、それがギフテッドである人間の、目に見えるところでの要約だろうと思いますね。
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外は刺激だらけ!ギフテッドの子供ならではの特徴とOE反応に涙
刺激を求めて三千里?! には及ばずとも、娘の飽くなき知的好奇心への刺激を求めて、自宅から数十キロ。車を飛ばして参りましたとも! 記念すべき第一回目は、じゃーん、水族館であ ...
ギフテッドの本質とも言うべき、脳回路の違いが、その一人一人の気性や性格と相まって表にユニークな形で現れてくるわけですが、一方でギフテッドならではの共通した特徴というものも存在します。
ちなみに、以下がギフテッドの子供たちにしばしば共通した特徴であり、中でも太字項目は、特に顕著に見られる共通項目を意味しています。
ーーギフテッドチルドレンに共通した特徴ーー
*新生児、乳児の頃から周りに気を払い、周りの環境に敏感であるなど、精神的敏しょう性を見せていた
*就学前の幼少期に自分で読み書きを覚えた、もしくは、現在、読書好きで貪るように本を読む(一人で読めない年齢の子の場合には、読み聞かせを好む)
*基本的スキルは、さほど練習しなくとも簡単に習得できる
*学習能力(吸収力、習得力、適用力、応用力)が高い
*幼少の頃から、言葉の微妙なニュアンス、比喩、抽象的な考えを理解できている
*思考は抽象的、複雑、且つ、論理的であり、鋭い洞察力を伴う
*論理的に考えられる。優れた思考の持ち主で、常に物事を深く思考することを好む
*空想にふけることがある。周りからは、しばしば、心ここにあらず、と思われている
*豊富な語彙、高い言語能力を持つ。年齢に似合わぬ複雑な構造や文法を伴った文章を操ることができる
*並外れて優れた記憶力を持つ。多くの情報を記憶の中に蓄積できる
*興味があるものに対しては、長時間、注意を途切らせずにいられる。凄まじいまでの集中力を見せる
*並外れて奥深い感情のひだを持つ。豊かな感性と鋭い感受性。非常に繊細で傷付き易い
*完璧主義であり、自分の描く理想に到達していない自分自身に対しては、非常に厳しい。また、自分にとって簡単にこなせることを他人が同じように出来ない場合、その理由が分からず苛立つこともある
*何をするにも激しさや情熱を伴う。物事全てに対して、標準レベルからは外れたオーバーな対応・反応をする
*鋭い観察眼の持ち主
*非常に強い好奇心の持ち主、際限なく問い続ける
*興味、関心の幅が広い、(時には、限られた一つの分野に非常に強い関心を寄せることもある)
*奥の深い問いかけをする、現段階では、まだ教えられていないレベルの疑問を抱く
*強い探究心を持つ。自分の考えを様々に試したり、今までとはやり方を変えてみることに興味を抱く
*しばしば、自分の考えや物事を非常にユニークで、他人が簡単には思いつけないような方法で結びつけることができる(拡散的思考)
*鮮烈で豊かな想像力を持つ、(就学前の子供に多いが)しばしば、架空の遊び相手がいる
*創意工夫に非常に長けている
*ユーモアのセンスが際立って優れている、特に機転を利かせたシャレや言葉遊びが上手い
*他者に対する思いやりが深い
*幼い頃から、すでに理想主義者であり、正義感も強い。社会的、政治的、倫理的な問題や不正、矛盾に心を痛める
*権威、権力を伴った人間や決まりごとに対しても、その正当性に疑問を抱き、確固な理由を求める傾向がある
*非常にエネルギッシュ
*一緒に時間を過ごす相手には、年上や大人を好む
*複雑な思考を好むがゆえに、それを必要としない単純な作業や構造には簡単に飽きてしまう。自分で複雑なルールの遊びを考え出す。数字やパズルを使った問題を解くことを好む。
(上記項目から派生する特徴というものも存在するため、ここでは、ギフテッドの特徴を全細部に渡って記載できているわけではありません。
また、どのギフテッドの子供にも上記項目の全てが当てはまるわけでもありません。ギフテッドの人間には、上記項目の「大方」が当てはまる、という風にご理解ください。)
《シルバーマン、ウェッブの文献を参考に再編集 & 日本語訳 by 更紗》
ギフテッドの育児を例えるならば
娘のオータムと過ごすこと、現在、8年半ですけど、冷静に考えれば、わたしの希望は叶ったんだろうな、と思います。
即ち、「親と夕食を囲みながら、文学や科学、芸術、それに政治に至るまで、知的な会話を存分に交わせる子」のことですね。
ただ、それは天井を突き抜ける、どころか、ガガガーーッと突き破ってくれる予想外のレベルで。
まさに、「青天の霹靂」だった、と。
親としては、気球に乗って、そよ風に吹かれながら、空からの景色を優雅に眺めることを想定してのにも関わらず、何を間違ったか、「はい、どうぞ」とロケットを用意されてしまったような、そんな感覚?

見果てぬ夢よ....!
ヘルメットまで渡され、「これから宇宙を旅しますから、それに耐え得るだけの特殊訓練を受けてもらいます」と言われ、まさに、ぽっかーん、みたいな?
「いやいや、何の話? 宇宙旅行なんて、予約してないですけど?」
「地球の大気圏を抜けたら、無重力空間に入るため.....」
「は? 地球を離れるつもりなんてないです。うちは、気球の遊覧ツアーに申し込んだのであって、宇宙旅行なんて頼んでませんよ。誰か他のご夫婦と間違ってませんか?」
「特殊な宇宙服も、ご夫婦分、こちらでご用意しています。ロケットの打ち上げは、フロリダの.....」
「フロリダ? あ、なるほど、ディズニーワールドにそういうアトラクションがあるってことですね? 申し訳ないですけど、うちはディズニーツアーにも申し込んでないので」
「ケネディー宇宙センターからの打ち上げ予定日が決まっていますので、訓練期間も含め.......」
「ケネディー宇宙センター? 打ち上げ予定日? はあああ??!!!!」

わたしと夫が乗ってます....っ!
オータムが生まれて以来、何か話が違う、会話が全く噛み合っていない、そういう感じでしたよねえ。
気球の旅のはずが、宇宙旅行ですか....。へー....そー....。
そもそもね、わたしも、夫も、そんな大それたツアーに申し込んだ覚えなんて無いんですよ。
だから、いつも、渡された旅行確認書はその場で確認しろって、夫にはあれほど念を押しておいたのに!ゴホゴホ。
わたしたち夫婦に割り当てられたロケットの名前、いったい何だと思います?
「Prank Star/プランクスター」!!
その名も、「いたずらスター」号ですってよ。
正直、前途多難を地で行くような名前ですね。乗り込む前から、どっと疲れが....。
せめて、こう、ベタですけど、「ホープ」とか、「ドリーム」とか。
はたまた、「フロンティア」とか、「インフィニティー」とか、「かがやき」とか、「つばさ」とかね、いかにも明るい未来が約束されてます、ってな名前が良かったのになあ。
なぜに、「プランクスター」?!

わーはっはーっ!
すでに、コンフォートゾーンから遠く、広大な宇宙へと飛び出してしまった、いや、飛び出させられてしまった、わたしたちですので、今更言っても仕方ないんですけどね。
狭いロケットの中で、頑強な宇宙服に身を包み、いちいち浮遊しながら、大袈裟にモノのやり取りをする度、ついね...。
溜息どころじゃない、ふつふつとした感情って言うんですか? こう、心の中で割り切れていない、整理し切れていないものが沸いて来るわけですよ。
あのさ、いったい、何でこうなった?!
心の葛藤:ギフテッドはどこからやって来た?
「だって、あなたですから」
「は?!」
「だって、あなたなんですから」
これは、リサーチを通して、オータムはギフテッドであることをほぼ確信したときに耳にした、わたしの心の葛藤の声。
「あー、やっぱり、遺伝か!」
「だよねえ、どこから来たの、って考えれば、両親から受け継いだって考えるしかないじゃん?」
「ってことは、あれだ! わたしも、ギフテッドだってことになるのか?」
「だろうねえ。そう考えていくと自然だし、正直、心当たりが無いわけでもない....」
「えーーーーーっ?!」
子供がギフテッドならば、親もギフテッドであり、親がギフテッドならば、子供もギフテッドである。
この単純な公式に考えが思い至ったとき、どこかの隕石が頭の上にズガーン!と降って来たようなショックで。
そりゃ、最初は全力で否定もしましたよ?
でも、どこか、こう、否定しきれないものがあって。
自分の子供時代をギフテッド視点からもう一度、丁寧に思い起こしてみたときに、自分とオータムとの間に何か共通点を見出してしまう自分自身がいるわけです....。
それってさ、つまり、わたしは、ギフテッドの親になるべくしてなった、ってことですか?!
まさに、生まれて初めて経験する自己アイデンティティーの危機。
実際、危機どころじゃない、自己アイデンティティーの完全崩壊を経て、人生のパラダイムシフトというものを身をもって体験することに。
現在、自己アイデンティティー再確立の真っ只中にいるわたし。
ギフテッドが、結局のところ、遺伝的形質によるものだということは、著名なギフテッド専門家の多くが口を揃えて主張していることでもあります。
そのいくつかをこの場でご紹介いたしますね。
ギフテッドの子供たちは、コウノトリによって適当に割り当てられたわけではありません。ギフテッドであること、それは、遺伝にまつわることです。
ギフテッドの親は、大抵、同じようにギフテッドなのです。
《シルバーマン (2013)、日本語訳 by 更紗》
もちろん、ギフテッドの子を持つ親の多くが、知性においても、創造性においても、同じくギフテッドであることは当然のことと言えます。
《ウェッブ他 (2007)、日本語訳 by 更紗》
家族学によれば、ギフテッドであることは遺伝するのです。
《プロミン&プライス (2003)、日本語訳 by 更紗》
自分が今まで培ってきた強力な知識データベース、それに加えて、聡明、且つ、激しさを伴う子供たちを診て来た臨床経験からも、「天賦の才」とは、何か、両親から子供に継承されるものなのだということを、わたしは確信しています。
《クレイン (2015)、日本語訳 by 更紗》
詩篇 日本語訳
わたし自身が自己アイデンティティーの危機に陥っていた最中、ふと思い出した言葉があるんですよ。
それは、わたし自身が密かに「誕生日の詩篇」と名付けた、聖書の、とある箇所。
旧約聖書の「詩篇」に収められているんですけどね、ミケランジェロのダビデ像でも名高い、あの古代イスラエルの王、ダビデが神への感謝と賛美を謳ったものなんです。
それは、あなた(神)が私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私は感謝します。
あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。
私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児のわたしを見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。
《詩篇139:13-16節 (新改訳)》

それは、奇跡の連続
詩篇 英語訳
同じ箇所でも、英語訳の方が直接的で分かり易く、しかも、読む側に訴えかけてくれるインパクトが強いようです。ご参考までに英語訳もどうぞ。
For Thou didst form my inward parts;
Thou didst weave me in my mother's womb.
I will give thanks to Thee, for I am fearfully and wonderfully made;
Wonderful are Thy works,
And my soul knows it very well.
My frame was not hidden from Thee,
When I was made in secret,
And skillfully wrought in the depths of the earth.
Thine eyes have seen my unformed substance;
And in Thy book they were all written,
The days that were ordained for me,
When as yet there was not one of them.
《Psalm 139:13-16 (NASV/New American Standard Version)》
導き出されるもの
ご紹介の詩篇の節は、聖書、創世記からの有名な一節、「God created man in His own image.(神は...人をご自身のかたちに創造された)」に呼応しています。
ここで、聖書が言わんとしていること、それは、人間とは、神が造り上げた最高傑作だよ、でしょう。

誰もが使命を持って生まれてくる
わたしの胎内で形作られたオータムと、母の胎内で形作られたわたし。
お互い、その神秘の領域の中、人生の輝かしい目的と成すべき使命とを持って、この世に送り出された、と。
つまり、わたしたちは、互いに親子に成るべくして成ったわけで、突き詰めていけば、オータムという子供を育て上げるために必要な素養、そして、ツールも全て、わたしの中に備わっているということ。
要は、それを自覚して、謙虚な気持ちで受け止められるかどうか、そのツールを堂々と使いこなせるかどうか、なんですよね。
元々は、気球から眺める、なだらかな地上の景色を心待ちにしていたわたしです。
心安らぐ情景にそっと抱かれるようにして、脳内にα波をビンビン出しつつ、持ち込んだサンドイッチやスープ入りポットで空の上のピクニックを楽しむぞー、って。
そんな夢はあえなく潰えてしまいましたけど、こうなったら、気持ちを切り替えるしかないんでしょうね。
だって、わたしが創造主から授けられたのは、かつてのアポロのように、宇宙空間から地球を眺めるミッションだったわけですから。
おかげで、わたしの脳内BGMが、ベートーベンの「田園」から、ホルストの「惑星」に変わりましたよ!

太陽系に連なる
宇宙へ飛び出してみて
正直、穏やかな旅とは程遠いものですし、自分自身への厳しい訓練も伴いますけど、でも、宇宙って、神秘の世界ですよー。
真っ暗な闇の中で、時に鈍く、時に明るく輝く惑星を目の当たりにしたり。
隕石に衝突しないよう、ブラックホールに吸い込まれないよう、細心の注意を払う必要も、そりゃ、ありますけど。
って、すでに、何個かの隕石にはぶつかって、ロケットの外側の一部がいびつな形で凹んでいますけどね。

全力で遠ざかれ
でもね、真っ暗な空間から、遥か彼方に碧い地球が顔を覗かせる、その瞬間ーーそれは、神の栄光と、荘厳さと、圧倒的な美とに満ちあふれているはず。
己の人生を振り返ったとき、わたしは、必ずや、人生最高の輝かしい思い出として、宇宙空間から目撃した地球の美しさを挙げるでしょう。

アポロ船員が見つめた碧い地球
今は、それをこの目で見るためだけに、そして、その感動を夫と共有できることをひたすら心待ちに、孤独な宇宙空間を漂っているといった感じですかね。
ときに、狭いロケット内で、つい、夫と言い合いになることもあるんですけど。おいおいおい。
「あなたがしっかり前を向いていれば、隕石にぶつからずに済んだのに!」とか何とかね。
夫も夫で、「何言ってんだ、誰だって、隕石がどこからやって来るかなんて絶対に分からないだろ」

衝突しないでー!
「はあ??! わたしたち、宇宙空間にいるのよ? 宇宙に隕石は付き物でしょう。いつ視界に入ってきてもいいように、普段からそのつもりで意識していなくてどうするのよ?!」
「人間、24時間、ずっと警戒してるなんて、所詮、無理なんだって」
でも、まあ、ロケットに傷が付こうが、凹もうが、何とか、碧い地球を彼方から眺めることができて、無事に地球に帰還できた暁には、隕石のことなんて笑い話になってくれますよね、きっと。
どうせなら、隕石のかけらをお土産に持って帰りたかったね、なーんて、わははと二人で笑っているんじゃないでしょうか。のんびりとお茶でも頂きながら。
で、いつか、娘夫婦が、「何で、何で、何でよー!わたしたち、宇宙旅行になんて申し込んでない!」と喚こうものならば、どんなに地球が碧く、美しいのかを夫と二人で力説した上....
「行ってらっしゃ~い♪ ボン・ボヤ~ジ♪」と送り出すことになるのかな。
「隕石とブラックホールだけには気をつけるのよー」の言葉を添えて。
ギフテッドの育児は瑞々しい
日常生活で娘のオータムと向き合うとき、常にこのことを意識しているわけではありませんけど、時々は自分自身にこういう例えでもって、ギフテッドチャイルドを育てるということは、どういうことなのかを思考させる重要性は感じますよね。
だって、そうでもしないと、正気が保てない!
このブログのキャッチコピー、「ギフテッドの娘と紡ぐ日常は、こんなにも瑞々しい」なんて、ホント、我ながらよく考え付いたもので、もうね、オータムと過ごす毎日があまりに瑞々しすぎて。
「楽しい」とか、「嬉しい」とか、「素晴らしい」とかの形容詞じゃなくて、「瑞々しい」ですから。
すみませんけど、もう一度だけ、強調させてもらってもいいですか?
ギフテッドの娘、オータムと紡ぐ日常は、こんなにも瑞々しくて....決して、色あせない!
行く先々で、人の記憶にくっきりと刻まれることになるオータム。我が娘ながら、あの子が今まで残してきた伝説の数って相当なものですよ。
「Unforgettable....!(忘れられない)」
何度、この言葉を耳にしてきたことか。
そう、何とも忘れがたい、愛すべき存在--それが、あの子の正体です。
わたしなんて、オータムが見せる繊細さ、拘り、集中力、アンバランスさなど、諸々のギフテッドの特徴に、これでもかと振り回されっ放しですから。
その例①
朝食にヨーグルトを出せば、あの子、「中に塊りがあるからイヤ。これじゃ、食べられない」って、わざわざ、泡立て器でヨーグルトをぐるぐるかき混ぜて、滑らかにしてから口にしたり?

オータム自らかき混ぜる
その例②
着替えるときには、肌に触れるタグというタグを気にして、タグをカットしてーーっ!と泣きながら、本人が切れちゃうことも?

自ら裏返しています

これも、オータムの通常運転
その例③
初夏だと言うのに、「これじゃなきゃ、絶対にイヤ!」だと、タイツとブーツを頑として離さなかったり?

初夏でも安定のタイツとブーツ....
その例④
お気に入りYoutube動画を見た後は、凄まじいまでのインスピレーションが沸くのか、ほとばしる感情を開放すべく、部屋の中を縦に、斜めに行ったり来たり。
あるときは、スキップ、またあるときは小走りと、もう延々と?
その例⑤
そうかと思えば、「物理の法則」だの、「サイコ」だの、「偽善者」だの、「明らかに」だの、「洗練された」だの、あの年齢の子には小難しいと思われる単語が、あの子の口からポンポン出てきたり、言葉の韻で遊んでみたり?

オータム作
その例⑥
車の中から墓地を目にする度、「お願い、墓地に戻って! 墓石に刻まれた名前を確認したい! 亡くなった人たちに敬意を示したい!」と繰り返し要求し続けたり?
その例⑦
夜遅く、もう寝る時間だというのに、そこからまた自分のプロジェクトを始めたがったり?
自作絵本だったり、いたずらの仕掛けだったりね。
テーブルから引き剥がすように、親が後ろから抱きかかえて引きずっている間も、ひたすら、おしゃべりを続け、自前の手品ショーを披露しようとしたり?
あの子の寝る時間って、世間一般の小学生が寝る時間とはワケが違うんですよ?
どんなに早くても、10時過ぎてますし、平気で11時とか行きますし。
ベッドに入っても、寝たくない、寝てるのはつまらない、って歌を歌っていたり、フェアリーごっこ遊びをしていたり。
親が起きている場合なんか特に、真夜中過ぎに起き出してくることもしばしば....。
挙げていけば、キリが無いんですけど、これ、我が家でよく目撃される光景のごく「一部」なんですよ。
単なる「氷山の一角」っていうヤツです。
正直、わたしなんて、息切れしながら旅を続けているくらいですよ。
時には、ぜーぜー息切れついでに過呼吸なんかを起こすこともありますけど、そういうときには、すかさず、手元の紙袋を取り出して、自己対処するしかないんですよね。
一旦、ロケットが打ち上げられたならば、「じゃあ、わたし、そろそろお暇させてもらいますね」と、ぱっと宇宙空間を去ることなんて叶わないわけですからね。
最終的に、自分の置かれた現実を受け入れ、それに適応し、ロケット内でそれなりに心地良い空間というものを生み出すことができたとしてもですよ?
さすがに「住めば都」とまでは思えないわけですよ。当然、ノスタルジックにもなりますって。
告白してしまいますけど、そりゃ、脳内では、何度も何度も「そろそろお暇させてもらうこと」を妄想しましたし、今、尚、発狂しそうになって、「ぎゃーーーーーっ!」と叫ぶことだってあります。
でも、そういうときには、首をぶんぶん振ってでも、すーはーすーはー、と何度か深呼吸をしてみること。
そして、もう一度、わたしの隣で一緒に宇宙へと繰り出した夫の存在を思い出し、互いを信頼し、手を取り合って、何とか困難を切り抜けていかなきゃいけないんですよね。
疲れているんだったら、二人でシフトを組んで、一人が操縦しているときには、もう一人は休息を取ったり。
ときには、気楽なコメディーでも鑑賞しながら、頭を空っぽにしてみたり。
何かしら、自分に合いそうな方法を見つけて、気持ちのリセットを図ること。
とにもかくにも、自分に与えられたミッションをしっかりと完遂させてから、晴れ晴れとした気持ちで地球に帰還できれば、と願っているわけです。
まだまだ、宇宙の旅は始まったばかり。
途中、間違っても、ブラックホールにだけは吸い込まれないよう、十分な警戒を図りつつ、「プランクスター号」を操縦していきたいとも思っていますよ。
つい、孤独に陥りがちな宇宙の旅ですからね、偶然にも、旅の途中で別のロケットとすれ違うことができたら、こんなに嬉しいことはないですよ。
お互い、車がすれちがうときのように、広大な宇宙を漂う同士への敬意を込めて、ロケットのライトをパカパカと点滅させることができたらいいな、って思います。
「頑張ってますね!」
「そちらこそ! お気持ち、お察しいたします」
「お互い、先は長いですからね、あまり飛ばしすぎずに行きましょう!」
「了解です!」
ギフテッド育児:おまけのQ&A
時々、こんな風にすれ違った際に、ロケットの「燃料」の話題に発展することがあります。
誰しもが一度や二度は思い悩みますよね、燃料が底を尽く前に、果たして、無事に地球帰還できるのか、って。
燃料は、限りのあるものですから、よけいにね。
まだ旅の途中にいる、わたしが言うのもおこがましい気がするのですが、たくさんの失敗を重ね、ロケット外壁への掠り傷や凹みを経験するなどして学んだこととして。
最重要ポイント
まず、わたしが思うのは、そもそも自分がギフテッドの子供を授かったのは、自分の遺伝によるものだ、というところを理解して、自分の中にそれに見合う素養も、ツールも備えられているんだ、ということを信じることから始まるのだと思います。
それが何と言っても基盤であり、スタート地点になってくれるのではないかな。
ギフテッドの専門家も、そこは強調していますよ。
ギフテッドの遺伝的要素については、あまり語られることがありません。
それは、不幸なことです。
なぜならば、ギフテッドの子供が、ギフテッドでない両親に無作為に宛がわれるのだという誤った考えは、ギフテッドの子供を育てる親たちに、自分たちでは分不相応だと感じさせ、害をもたらすだけだからです。
あまりに多くの作家たちが、映画「リトル・マン・テイト」で描かれた典型的な母親像に象徴されるように、親子間においての知力のギャップはよくあることだ、という誤った憶測だけで物事を語っているのです。
ギフテッドの子を持つ親は、大抵、その子供を上手く育てるのに必要な知性を兼ね備えているものなのです。
子供たちも、その得意分野での知識では親を遥かに上回るかもしれないものの、知性そのものは、親子間で同等だと言えます....。
....ギフテッドの子を持つ親たちは、なぜ、自分もギフテッドであるということを積極的に受け入れる必要があるのでしょうか?
それは、自らのギフテッドとしての特徴に注意を払うことで、我が子の見せる、定型を逸脱した成長の仕方にも敏感になれるからです。
この当たり前の遺伝的形質を否定することは、己についても、我が子についても、偏見の目で捉えている、ということを意味するのです。
《シルバーマン (1993)、日本語訳 by 更紗》
重要ポイント2
知識を得、ギフテッドの性質をよく理解することによって、我が子への対応方法を自分で調整できます。
だって、子供が単に反抗しているとか、わがままを言っているとか、そういうことではなく、ギフテッドならではの、どうにも出来ないニーズと特徴ゆえなんだ、と自分が理解できれば、自ずと対応も変わってくるんですよね。
親子で不毛な言い争いをしなくても済むことにも繋がってくれるわけで。
それは、つまり、限られた燃料を温存できるということに!
重要ポイント3
ギフテッドって、完璧主義者でもあり、理想主義者でもあります。即ち、自分に対しての基準が非常に厳しい。
ということは、同様にギフテッドである親も、何でもかんでも、やり過ぎてしまう傾向にあるんですね。
例えば、食事は全部、手作りのものでないといけない、とか。栄養を考えて、常に品目数を多くするべきだ、とか。子供の学校行事のために、完璧に準備しておかなきゃ、だとか。
何かと、「こうあるべき」、「こうすべき」という高い基準で、自分を雁字搦めにしてしまう傾向にあるんですね。そうなると、自分も苦しいのと、周りも息苦しくなってしまうのと。
もう少し自分を解放してあげる、楽にしてあげる、ということが必要なのかな、と。
たまには、デパ地下のお惣菜でもいいんですよ。レストランからテイクアウトしたっていいんです。もちろん、外食だってOK。
探せば、ナチュラル、オーガニックなものをメインにしているところだって多数あるはず。
ただ、外食についてはね、ギフテッドの小さな子を連れて行くと、落ち着きがなかったりして、逆に疲れてしまったりもしますので、我が家はもっぱらテイクアウト派なんですけどね。
家事だって、完璧じゃなくっていいんです。毎日、これをしなきゃいけない、あれをしなきゃいけない、じゃなくっていい。
要は、優先順位です。日々の燃料の限界を分かった上で、優先順位の高いものから片付けていく。
もしくは、家庭電化製品に投資して、時間と労力の短縮を図ったりすることもできるかもしれません。
玉ねぎを千切りするのに、何も自分が包丁で刻まなくとも、フードプロセッサーでガーッと終わらせてしまう、という方法だってあります。
食器洗浄機なんかは、すでに利用なさっている方も多いはず。
ギフテッドの親にとってのこうした行為は、決して「怠けること」ではないんです。「死活問題」に対処するための「知恵」なんですよ。
少しずつでも、自分に幾らかの「余裕」をあげることを実践していかないと、宇宙旅行の半ばで自分が寝込むことになります。
それでは、あまりにリスクが高すぎる。
やはり、親だって自分自身を労わってあげないといけないんですよ。
かく言うわたしも、コンを詰めすぎて、過去、酷いインフルエンザで高熱を出して、1週間も起き上がれなかったり。
つい最近では、非細菌性膀胱炎をやってしまったり。
生々しいお話であれですが、起き掛けに目にした、生まれて初めての血尿に、もうね、いっきに目が覚めましたよ!
淡いパープルのような、ロゼワインのような色合いで、これってば一体?!って。
検査の結果、一過性ということで方が付いたんですけどね、結果を聞くまでの間、大丈夫だろうとは思いつつも、心臓がバクバクし通しでしたよ。
やっぱりね、手の掛かるギフテッドの娘を置いて、一人、病床には倒れられないですから。
これからは更に自分自身を労わること、自分の持てる全エネルギーの内、75%くらいで、余力を残した状態でやっていくのがカギだな、と思わさせられました。
娘のためにも、絶対に無理をしちゃいけないぞ、って。
そんなわけで、どなたさまも、ご無理だけはなさいませんように。くれぐれも、ご自愛なさってくださいませ。
気力があっても体力が無い場合には、気力の方ではなく、体力の方に照準を合わせることをお薦めいたしますよ。
重要ポイント4
励まし合うことは、必須です。
広大な宇宙の中、ロケット一台だけで旅していたとしたら、孤独感と被害者意識に陥って正気を保てないですよ。
ときどき、すれ違うロケットの存在に、励まされ、慰められ、そして癒されるんです。
お互いに交信がうまく出来れば、どこかの惑星に立ち寄って、サンドイッチとスープでピクニックランチでも...とまでは行かなくとも、宇宙食を一緒に頂いたりは出来るかもしれません。
そこで有益な情報交換をしたりなんかしてね。
子供がプロジェクトに熱中しすぎて、低血糖になったときには、どんなおやつを用意すべきかとか、上質なたんぱく質を摂取させるには、どんなものがいいかとかね。
最後に:わたしがずっと考えていること
わたし事なんですけどね、無事に地球帰還が叶った暁には、ロケットを「Prank Star/プランクスター(いたずらスター)」から、「Destiny/デスティニー(運命)」に改名させてもらおう、って心に誓っているんですよ。
そのときにこそ、この宇宙旅行は、まさに意図されたことだった、必然だった、って、自分自身が120%納得できるはずだから。
そうしたら、脳内BGMは、ホルストの「惑星」から、再び、ベートーベンの「運命」に変わってくれそうですね。
いや、本当のところは、「英雄」かな?
実を言いますとね、ここまで来ても、未だ自分自身を疑いたくなることがあるんですよ。
宇宙を彷徨いながらも、これって、わたしが見ている夢だよね、って、疑念をふつふつと沸かせてみたり。
自分の目の前で繰り広げられている世界を否定してみたり、逃避したくなってみたりと、様々にね。
だって、今の今まで、ずーーっと、自分なりのアイデンティティーを持って生きてきたわけです。そのアイデンティティーの元に、自己分析や自己反省をしながらね。
しかも、わたし自身は、親からも、周りからも、そういう扱いを受けて育ってきていないわけですし。
社会でそれなりに円滑な生活を営むためのソーシャルスキルだとか、処世術だとかは、長い年月を掛け、粗方、身に付けているわけで。
だからこそ、今も、「わたしって、本当にギフテッドなの?」、「何で、宇宙に出て、こんな不便な生活させられなきゃいけないの?」という心の葛藤は続きます。
もしも、巷で信じられているように、「ギフテッドであること」が、何か「偉業を達成したこと」、もしくは、「偉業を達成する可能性を秘めていること」だという誤った概念に固執するならば、我が子のことだけでなく、自分自身のことも、ギフテッドだと認識することはできないでしょうね。
でも、ギフテッドって、そういうものじゃないんですよね。
生まれつき、ギフテッドとしての脳回路を持っているか、どうかなんです。
将来、偉業を成し遂げようが、そうでなかろうが、はたまた、アンダーアチーバーに陥ろうとも、そんなことは一切関係なく、ただ単にギフテッドとしての特殊な脳の形質を受け継いで生まれたかどうかが、ギフテッドを語る上でのカギなんです。
その脳の形質、回路によって、ギフテッドならではの感情や思考、また意志までも生み出させ、それら諸々を目に見える特徴という形で展開させるのであって、決して、結果ありきではない。
もっと言ってしまえば、生まれてから死ぬまで、ギフテッドの人間はギフテッドで無い瞬間など、ただの一度たりとて無く、その特殊な脳の形質と回路とに一生関わり、それらの影響を受けなければならない存在なんです。
それは、ギフテッドに限らず、定型発達を逸脱した存在であるならば、誰しもが同じ宿命を負っていると言えますけどね。
葛藤の末に見えたもの
「やっぱり、オータムとわたしって、どこか似てるところがあるような気がする....」
葛藤の最中にあっても、ちらちらと見え隠れする彼方の光。
自分の子供時代を振り返れば、ああ、わたしもオータムと同じようなことを感じて、同じようなことを思って、同じようなことを言っていたよなあ。
ただ、親に押さえ込まれて、同じようなことを出来なかっただけで。
周りからも、自分の考えや感情を、人としての短所だ、欠点だ、と思い込まされてきたけれど、本当は、そうじゃなかったのかもしれない。
単に、真の自分であろうとしていただけで。
何となく息苦しさを感じつつも、両親の前でも、学校でも、それなりに小回りを利かせる術を学んで、毎日をやり過ごしていた自分....。
わたしは、過去の、子供だった頃のわたし自身を開放してあげなきゃいけないんだよな。
その存在は、今、現在を生きるわたし自身の目の前にいる、このオータムでもあるんだよ、って。
つまり、オータムのギフテッドゆえの特徴や欲求というものを可能な限り尊重してあげることこそが、自身の特性を持て余し、途方に暮れていた、子供だった頃のわたし自身を救い出してあげることになるのかもしれないな、って。

もう一人のオータム、それはわたし自身
だからこそ、わたしは、自分の後に続く娘や、その子供たちのためにも、いつの日か、真の「英雄」にならなきゃいけないんだ、と思うわけです。
自分自身に挑んだ戦いを戦い抜いた、というね。
そして、ギフテッドの家系に連なり、互いに、そのギフテッドゆえの特性を持て余し、そのギフテッドゆえの特徴に振り回されつつも、誰一人としてギフテッドへの見識を持ち得なかった、無知の悪循環をわたしの代で止めた、というね。
パイオニアとしての役目を負った人間には、スマートな終わりはやって来ないのかもしれません。
だって、そこに知識と経験とに基づく、知恵の蓄積が無いんですから。
自らが乗り込んでの、不器用なまでの試行錯誤の繰り返しは、泥臭くて、汗臭くて、もしかしたら、血の臭いまでも辺りに漂わせているのかもしれません。
ススだらけの頬には、幾筋もの涙の跡を張り付けて。
鏡に映った己の無様な姿を笑うことはできても、さすがに他人に見せられたものではないだろうな....。
それでも、地球に帰還できた暁には、その汚れすら、わたしには勝利の証として誇らしく感じられるのでしょう。
この傷だらけ、汚れだらけの顔で、闇の彼方に息を呑むほどに美しい地球を目にしたのだ、と。
こみ上げる感情に喉元がきゅうっと詰まり、言葉にならない嗚咽だけが漏れる、その瞬間。
それこそが、我が人生最高のきらめき。課せられたミッションを完遂し、ただただ幸せな充足感に包まれたとき。

創造主の心に触れて....
児童文学作家であり、自らもギフテッドの子供を育て、ギフテッド研究で名高い心理学者、Dr.シルバーマンと共に、ギフテッドの定義にも大きな影響を与えたトーランがこう記しているんですよ。
ギフテッドの我が子を育てる最良の経験の一つとして、その育児の過程を通して自己の発見に至るということが挙げられるかもしれません。
《トーラン (1992)、日本語訳 by 更紗》
Dr.シルバーマンは、こうも語っています。
我が子がギフテッドかどうかの検査をした後、自己に対する認識を大きく変える親も出てきます。
[子供がギフテッドであることが判明し、自らも同様にギフテッドであることに気付いた]親たちは、新たなキャリアをスタートさせたり、学校に行き直したり、そのための奨学金を申し込んだりと、変化を遂げるのです。
《シルバーマン (1993)、日本語訳 by 更紗》
わたしが体験した、自己アイデンティティーの危機、崩壊、そして、再確立という、人生のパラダイムシフトは、多くのギフテッドの大人たちが辿る道程なのかもしれません。
ギフテッドの存在や、ギフテッドの概念・定義が未だ広く認知されていない現状では、それも仕方が無いことだと言えます。
でも、一旦、目が開かれた後は、自分自身もギフテッドであること、また、それに付随する能力を自ら受け入れることは、決して、謙遜の欠落を意味することではない、とギフテッドの子を持つ立場にいる親たちは知る必要があります。
逆に、拒否することこそ、そもそも、その贈り物をくださった神を侮辱することであり、授けられた才能や能力に伴って期待されている個々のミッションや責任を放棄することに他ならないわけで。
「ギフテッドであることも、何層にも奥深く、豊かな内面世界を持っていることも、自分の努力と勤勉によって生み出したわけではない。その背後には、何らかの意図を持って、それらを授けてくださった神の存在がある」
厳かな気持ちで受け入れることが出来るのならば、自ずと自分自身と我が子が持つギフテッドとしてのアイデンティティーをどう捉えるべきか、どう向き合っていくべきかの道筋が示されるのではないか、と思います。
その、真の自己アイデンティティーを確立していく過程の中にあってこそ、わたし自身も、あなたも、子供の頃から受けてきた、いくつもの傷を癒していくことができるのだと。
未だに、時々、無性に疼く古傷、そして、その一つ一つの記憶。
変わってるね、と形容された自分の有りようも、拒絶された言動も、誤解された思考も、理解されない思想も、共有されない感情も、孤独感も全て。
自分の後に続く子供たちのため、果たして、「英雄」になれるかどうかは、真の己に向き合えるかどうかに掛かっている、そういうことなのかもしれません。
少なくとも、わたし自身はそう信じて、今も、無限の宇宙を探検しています。

彼、教会のスタッフとして、子供相手の仕事をしていたんですけどね、知能検査の結果、自分が非常に高い知能の持ち主だと発見したんですよ。
で、一旦、その仕事からは退いて、ロースクールに通い、弁護士になることを決意したんです。
現在は法律事務所に所属して、弁護士として活躍中ですよ!

あ、化学者でもいいな、色んな薬品使って実験するの、楽しそうだから。
違った、やっぱり、獣医さんがいいな。だって、イルカと一緒に遊んでみたいもん。


