ギフテッドであること、それは、わたしが理解するに、全く生まれつきのものです。
つまり、ギフテッドの人間には、赤ちゃんのときからすでにギフテッドならではの特質が備わっているということでもあります。
ギフテッドは、概して繊細で、ドラマチック。内側からふつふつと湧いてくる好奇心や、喜怒哀楽の性質、感情の度合いなどが、普通の人間のものとは大幅に異なっています。
それがしばしば、度を越した反応となって現れてきては、周りの人間を困惑させてしまう、と。
ただ、同じギフテッドと言っても、当然のことながら、個々で違いがあります。例えば、ギフテッド度のレベルによる特徴の違い。

これに、持って生まれた気質、気性、性格や環境要素が加わり、互いが絡み合うことで、目に見えて現れてくるものが変わってくるわけです。
この他、親の側の主観も含まれてくると思うんですね。
同じ子を相手にするにしても、その子と関わる親の側の気質や性格によっても、「育てにくいかどうか」の印象は、だいぶ変わってくるんじゃないでしょうか。
ケーススタディ--「更紗とオータム」編 序章
それを踏まえてのケーススタディです。ここからは、あくまで、「更紗とオータム」編ということで、お話を進めていきたいと思います。
わたし自身は、多分ですけど、半分は神経質で、残りの半分は適当にずぼらという。つまりは、拘るべきところは非常に拘るけれど、それ以外はまあ適当というタイプだろうと思います。
メリハリのある性格と呼んでください。ははは。
で、対する娘の方は、誕生時からギフテッドの特徴が顕著でした。ギフテッドならではのエピソードの数々は、もう、涙、もとい、笑い無くしては語れない....!
後に、非常に外向的で、強烈な性格の持ち主だったということも判明。
やっぱり、ギフテッドは赤ちゃんのときから育てにくい子?
そんな、わたしたち親子の組み合わせの場合ですが、答えは、YESです。思いっきりのYES。
もうね、声を大にして言いたい。いや、この場では、フォント大きくして、赤の太字にして、下線引いて、それをそのまんまボックスで囲って、その上でYESと書きたい。叫びたい!
あ、でもですね、完全に矛盾しているかもしれませんが、わたしが娘を描写するのに、「育てにくい子」という言葉を使ったことは、一度も無かったんです。それが例え、自分の心の中であっても。
と言いますのも、そのものズバリな言葉が、わたしの持つ語彙には存在していなかったんです。
後で調べて思ったんですよ。凄い!日本語には、そんな便利な言葉があったのか!←おいおいおい。
代わりに、わたしが使った言葉は...
あれですよ、わたしがひたすら思っていたのは、「なぜか分からないけど、凄く大変」だったり、「とにかく大変」ということでした。
まず、わたしにとって、娘は初めての子で、他に比べる対象が無かったんですよね。
すぐ近くで同じくらいの月齢の子を育てているお宅も無かったですし、いわゆる、ママ友みたいなものもいなくて、最初は、何となくこういうものなのかも、と一応は納得していたわけです。
過去、姪の成長の過程を少しだけ垣間見たことがあっても、その姪とは毎日会っていたわけでも、1日中一緒に過ごしていたわけでもないですし。一人の赤ちゃんと始終向き合った経験が無かったんです。
なので、例え、「育てにくい子」という語彙を知っていたとしても、果たして、娘について、そういう言葉を使えていたかは分かりません。
そこには、親の主観が入りますし、言葉の印象としては、少なくとも一人を育てた上で、そのときの経験と比べてどう感じるか、という意味に受け取れますしね。
英語では
他にも、英語では、「challenging/チャレンジング」という単語をよく使いました。と言いますより、現在も未だ進行形であります。←キリッ。
かつて、ママになったばかりの友人が言っていたんですよ。
「毎日が充実してるよー。あの子(娘さん)と一緒にいるのが本当に楽しくて」
それを聞いたとき、わたしまで幸せな気持ちにさせられたものです。そこには、理想の育児像というものが垣間見えたような気がしましたし。
でも、いざ、自分が母親になると、それが一転。
彼女は、本心から、そう言っていたんだろうか、それとも、社交辞令でそう言っていただけ?
だって、わたしは、別の友人に同じようなことを聞かれても、彼女と同じように答えられたことが無かったんです。どう取り繕っても、正直、そんな風には応えられなかったです。
「赤ちゃんって、どう? 可愛いでしょう? 育児してて楽しい?」
とか、
「育児はどう?もう慣れた?うまく行ってる?」
とか。
まあ、ちょっとした挨拶も兼ねて聞かれるわけですよね。
なのに、わたしの答えは、「あー」とか、「んー」から始まって、「そうね、娘はワンダフルよ。でも...」
そう、そうなんですよ、ここに必ず「BUT」が入るんです。でもって、「同時に、チャレンジングなの」のフレーズが付け加えられるわけですね。
いや、もちろん、笑顔で言いましたよ。もしかしたら、顔が少し引き攣っていたかもしれないですけど。
だとしたら、たかだか挨拶ごときのために興醒めなことをしてる?それもと、やっぱり、こんな風に感じるのって、わたしだけ?もしもそうなら、わたしは母親として、いったい何が足りないの?
と、それはもう、延々と負のスパイラルにはまっていったわけです。
じゃあ、実際にいったい何が大変だったのか?
当時、その真の正体は、分からなかったです。掴みどころがなかったと言うのか、薄いベールに包まれていたと言うのか。

だからこその、「なぜか分からないけど、凄く大変」という感想が出てきたわけで。
もうね、毎日オータムのオムツを替えながら、「子を育てることがこんなに大変だと分かっていながら、それでも人間が親になることを望むはなぜなのか」って、いっぱしの哲学者ぶって考え続けていましたね。
生後すぐから「大変」だと思わされた要因ですが、強いて挙げてみると、以下のようになるんじゃないかと。
- 泣き方が凄まじい
- 赤ちゃんに共通して好まれるはずだったおくるみを極端に嫌がる
- ベビーベッドを嫌う
- すぐに寝てくれない
- 寝付いても、何度も目を覚ます
- ソックスは真冬でも嫌がって、いつの間にか勝手に脱ぎ捨ててしまう
- 親が傍を離れるのを嫌がる
何となく、それが何か? みたいなものばかりに見えなくもないですが...。
うーん、何でしょうね、全体の組み合わせだったり、一つ一つの度合いが「とにかく大変」だと思わせるのに十分だったということだったのかもしれません。
実例:生後2日目&3日目
新生児ルームでも
娘が生まれてすぐ、まだ病院にいた頃の話です。
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日本でも赤ちゃんの液体ミルク解禁へ!母乳に比べて便利な点は?
ニュースによれば、日本でも、赤ちゃん用の液体ミルクが東京オリンピックを目処に解禁の方向らしいですね。 そうでした、そう言えば、日本に液体ミルクって流通していなかったんだよ ...
アメリカでは、保険の関係もあって、普通に出産した場合の入院期間は2日間に限られています。48時間以内をうたっているところもあれば、ホテルの要領で2泊3日のところあります。
まあ、か弱い日本人女性(え、どこが?)にとっては、そんな過酷な条件での出来事なわけですが。
病院の方針で、セミプライベートルームという個室だったんですけどね、家族の誰かが一人付き添えるように、ゲスト用の簡易ベッドも入っていました。もちろん、自分たちが望めば、小さな新生児用ベッドに寝かせられた赤ちゃんも同じ部屋に連れてきてもらって、一緒に過ごすことも出来たんです。
ただ、最初はそのつもりでいても、とにかく、わたしの方がゆっくり休みたいし、寝たい。
もう1日中、ドクターやナース、それにミッドワイフが入れ替わり、立ち替わり、体温や血圧を測りにくるんです。もう、早朝だろうが、夜中だろうが、容赦ないっていう感じ。
そんなわけで、少しでも自分の体を休ませようと、オータムを新生児ルームで夜の間は預かってもらうことにしたんです。
でも、夜中の3時半にナースに有無を言わせずに叩き起こされました。
だって、母乳出ないものは、出ないですし。普通、母乳が出るようになるのは、出産から4日目と聞いてます。フォーミュラあげるだけなら、何も母親じゃなくったって。
言い訳になりますが、こう思ってしまったのには、それなりの理由がありまして。
わたし、フツーの定期健診に出掛けたっきり、そのまま誘発入院になってしまった人なんですよ。心の準備が無いまま入院させられて、促進剤を打たれたわけなんですけど、それが効きすぎて。
しかも、ナースが言うところの「普通の陣痛の3倍の痛み」とやらに襲われただけでなく、無痛分娩に切り替えるタイミングを逃し(←麻酔師が分娩室をノックしたときには、すでに子宮口全開)、このまま覚悟を決めて自然分娩しろって、どういう冗談?
でもって、入院できるのが、たったの2日。自宅に戻っても、夫婦二人だけの生活が待っているんですけど?!
こういう状況の中、真夜中過ぎ、寝ているわたしを無理やり起こした挙句、しかも、どんなに頑張っても母乳が出ていないって言ってるのに、母親自らが赤ちゃんにフォーミュラあげろ、っていう話だったわけなんです。
っていう状況じゃないですか。脳内キャラにまで発動かけて、何て可哀想なわたし...。
自宅でも
それにしても、娘の泣き方の凄まじさは、正直、耳をつんざくどころでは済まなかったところがありますね。
わたしなんて、最初、自分が育てているのは、恐竜か?!って思いましたもん。
夫は、オータムが泣くと「壁のペンキが剥がれ落ちる」と、面白おかしく表現していました。←わたしよりも、よっぽど余裕があった模様。なぜ?!
わたしが生後2ヶ月ほどのオータムのオムツ替えをしようとしたときのことなんですけどね、それはもう、「んぎゃー」っと、尋常じゃない泣き声を出されまして。それも延々と続くわけですよ。
もう、その声に仰天してしまって。一瞬、自分が娘を虐待してしまったのか、と疑いました。
本当に全く身に覚えがないんだけど、もしかして、2、3秒、意識がどこかに飛んじゃってたってことある?? もしかしてだけど、わたし、その2、3秒の間に、この子を虐待した?!
でも、いやいやいや、そんなことしてない、絶対にあり得ない、と気を取り直して、オムツ替えをぜーぜー言いながら、終わらせたという....。
その後も、ギャーーッ、と泣かれる度に、心臓がばくばくしてしまって。何と言いますか、ナイフで胸元をえぐられるんじゃないかっていうくらいの恐怖感を覚えますね。
今も、ときどき、そうなるんですけど。オータムの泣き声にびくっとして、手の中の物を落とすことが増えてしまいました。
キッチンで夕食を作っているときなんかも、スプーンを落としたり、食材を落としたり、カップを落として割ってしまったり。一度なんて、包丁を自分の足元に落としてしまって、「きゃああ」って、わたし自身が悲鳴を上げたことも。
実例:生後3日、初めて自宅で過ごす夜
これ、最初は訳が分からなかったんですけど。こちらの病院では、生まれたばかりの赤ちゃんを、その頭だけが出るようにして、きゅっとブランケットで包んで寝かせておくんですね。
もちろん、両手も中に入ってコクーンのようになるというのか。さながら、ロシアの民芸品のように見えなくもないんですけどね。
聞くところによれば、お母さんのお腹の中で気持ちよく休んでいたときのことを再現しているみたいなんですね。生まれる少し前なんかですと、もうぷかぷかではなく、ぐにゅーんっていう感じで結構窮屈というか。
でも、それさえも、心地良くて。中は温かくて、守られていていますからね、脳からはびゅんびゅん、アルファ波が。って、いや、それはどうかな?
あー、とにかくですね、赤ちゃんが育つ環境として、安心感に包まれていたわけです。
病院でも、赤ちゃんの肌にしっかりと触れるように、きゅっきゅっとくるんであげる方法をベテランナース直伝で学びました。いえ、学ばさせられました。もちろん、わたしじゃないですよ? 夫の方がです。おいおい。
やはり慣れないと時間も掛かりますよね。なので、それを見越して、「赤ちゃんは、みーんなおくるみが大好き!」の宣伝文句が連ねられていた簡易おくるみというものを自宅に用意してあったんです。
オーガニックコットンを使った、赤ちゃんのお肌にも安全で柔らかな手触りの、業界ナンバー1のおくるみです。
重ね重ね、「赤ちゃんはみーんな、これが大好きなのよ。ママのお腹の中にいるときのように安心できるのよねえ」と、ベテランナースに知恵を授けてもらい、確かにそう刷り込まれてきたこともあります。
入院から3日目の午後。本来ならば、朝10~11時に部屋を空けることになっていたのですが、すでに娘の世話に疲れ切っていたわたちたちは、ナースのお情けで、例外的にゆっくりと帰り支度をさせてもらいました。
覚えています、病院のカフェテリアからオーダーしたターキーサンドイッチをしっかりと手に持ち、午後3時にいざ出陣。もとい、退院。
一番の問題は、その日の夜でした。環境ががらりと変わり、それを敏感に感じ取っていたはずの娘。あの子、寝やーしません。もう、何をやっても、びくともしないっていう感じ。
で、夫が何とか、柔らか肌触りのオーガニックコットンのおくるみの中に娘を入れようとするんですが、ふんぎゃーっ!と、それは耳を覆うような、恐竜の赤ちゃんみたいな泣き声出して嫌がるんです。
何度やっても、同じことの繰り返し。たかだか生後3日の赤ちゃんが必死で抵抗するわけですよ。

こんな感じで
最後は、夫もほとほと疲れ切っていました。「ベビーは、みんな、これが好きなんだよ、そのはずなんだよーーーーっ!」
尚も、ジタバタと抵抗する娘。夫の「何でオータムには通じないんだ!おかしいだろ!」
「まあまあまあ、落ち着いて」と思われた方、何卒お察しくださいませ。
まだ生後3日の娘と初めて親子3人だけで自宅で過ごす日の夜。そりゃあもう、喜びよりも何よりも、責任感だ、不安感だ、これから大丈夫なのか、と色々な感情が渦巻いておりました。
夫にしてみれば、妻は這うように退院して、体はボロボロ。まともに歩くこともままならず。ならば、ここは自分が踏ん張らねば、と思ったはず。
なのに、時計を見やれば、すでに夜中の3時。しかも、あと数時間後には、娘を連れて小児科に出向かなければならないという過酷なスケジュール。
これは、大の大人にしても厳しいものがあったろう、と。
で、結局、娘を夫が抱っこして、子守唄、なーんて出るわけがない。寝ろ、寝てくれ、頼む、寝るんだ、とか何とか呟きながらあやし、娘がふっと寝入ったところで、すかさず、コクーン状にしてからベビーベッドに置いた、と。

上から見たコクーン状のオータム

真横から見たコクーン状のオータム
でも、あの子、どうやってか分かりませんけど、マジックテープでしっかりと留められていたはずのおくるみから両手を抜き出していました!
朝、夫が気付いて、「どうやって、手を出したんだ?!」って、叫んでましたけどね。

こんな感じです。でも、こちらはイメージ画。
実はですね、後々まで、これが延々と毎日繰り返されることになったわけです。
もう、あそこまで行くと、儀式みたいなものですね。夫は毎夜、娘と格闘しながら、何とか娘をコクーン状に。
で、親が知らない内に、娘はおくるみと格闘して、朝には必ず両手が綺麗に出ていると。
未だに、あんなに小さな赤ちゃんがどうやって手を出すことに成功したのか分からないんですが。
オータム、その出された腕をロッキーの勝利のポーズのごとく、宙に浮かせるように肘立てて寝ていたことも、しばしば。
まあ、最終的には、娘を完全コクーンにすることは諦め、腕を自由に動かせる状態でくるむようにしていたんですけどね。それすらも長く続かなくて、おくるみは早々にお役ごめんになりました。
まとめ
最初は、何がどうなっているのか検討も付かなかった夫とわたし。
心の中では葛藤しながらも、親になるっていうのは、こういうことなんだろうな、と受け入れていたわけです。
確かに、今、「育てにくい子だった?」と聞かれれば、そうですし、ひっじょーに苦労させられたという記憶が残っています。正直、現在も進行形のまま。
でもね、あれから時間が経って、多少なりとも冷静になって、改めてギフテッドの見地から振り返ってみますと、生後すぐから始まっていた娘の過敏、過剰な反応にしても、新生児に慣れているはずのナースが娘にだけは手を焼いたことにしても、実に意味のあることだったわけですよ。
そこには、ちゃーんと理由が存在していたんです。
他にも、娘がなかなか寝てくれなかったこと、赤ちゃんが落ちないよう、安全のための囲いを施したベビーベッドを殊更に嫌がったこと、ソックスをさっさと脱いでしまうことなども含めて、これらの一つ一つが、後にギフテッドを語る上での重要なポイントになっていきます。
自分の中で、こうした点と点が繋がって、見事に一つの線になってくれるのは、ずーっと先の話なんですけどね。

出来ることなら、タイムマシンに乗って、過去の自分たちを大丈夫よーって励ましてあげたいくらい。でも、それは無理なので、せめて、今からでも「敢闘賞」をあげたいな。

